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秋篠走友会(掲示板)
高橋幹也さん
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> で、その猛練習とは、当時は平日は船橋市の会社から千葉市の自宅までただ14キロジョクして帰るというのが練習だった。それを会社から > 16キロジョクしてサンスポ千葉マリンマラソンのスタート地点まで走 > り。ここから1キロ10本を毎晩することにした。終わって帰れば合計36 > キロになる。ただこれは3日で挫折した。さすがに疲れる。ただ週に3回 > はこれを実行して、合わせて土日も30キロペース走を行う事にした。平 > 日夜の10キロ走は最初は10キロ合計37分かかっていたが最後は33分前 > 半、日によっては32分台で走れるようになった。30キロペース走も、 > 約5キロごとの小休止をはさみながら2時間40分かかっていたのが1時間 > 50分台で行けるようになった。10月の袖ヶ浦海浜ロードではあまり成 > 果は出ていなかったが11月の勝浦鳴海ロードでは大いに成果が出て仲間 > 内でも7対3で2時間30分切れそうだと話し合い。そして2001年の八千 > 代のレースを迎えたのだつた。当日のレースは高校生1人を含む3人で先 > 頭集団を作り、5キロの折り返し付近から追い風に乗って後続を切り離 > し32分37秒の自己記録でゴールしたのだつたるただこの年は競技場の > 工事の関係でコースが一部変更になり、野球場がゴールだつた。最後の > 1キロは50メートル程度短かった。大いなる期待の者参加したほF読売 > マラソンは2時間27分58秒の自己新記録で大勝利したのだった。
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