1

血と肉と暴力

 目の前で繰り広げられる暴力を、龍二は玄関の壁に寄りかかり、ただじっと見つめていた。
 陸が、床に這い蹲らせた海(かい)を蹴り上げ、頭を踏みつけては罵倒している。
 いつものことだった。
 陸は、些細なことで怒り狂っては6つ年下の海を殴り、蹴り、悪し様に罵って折檻した。それはまだ龍二が中学生だった、養護施設に入ったときには既に始まっていた。同じ年の陸に龍二は親近感を持ち、積極的に話しかけて親しくなったが、龍二に対する陸の態度は普通だった。むしろ穏やかで知的と言ってもよかった。小柄な陸はくっきりした二重の瞳が印象的な、整った顔立ちの少年で、読書家で物知り、話していて飽きなかった。施設に入ったばかりで戸惑うことの多い龍二にも親切にしてくれて、龍二がホームシックになったときには何も言わずにただずっとそばにいる、そんな優しさが陸にはあった。
 だが、海に対してだけは、陸は異常なまでに乱暴だった。
 聞けば、陸と海は名前はまるで兄弟のように似通っているが、血の繋がりはない、赤の他人という話だった。ただ施設に入所してきたのが1日違いで、時期が近かったらしい。それだって大した共通項ではない。
 それなのに、陸は海が食事を零した、靴を並べなかった、毛布を畳まなかった、そんな些細なことで殴り、蹴り、罵った。小柄ではあるが14歳の陸が、6つも下の9歳の子どもに暴力を振るう様には誰もが圧倒された。それは苛烈な怒りで、目の前で始まる暴力を誰も数瞬の間止めることができないぐらいだった。 10年前だから表沙汰にはならなかったが、今なら幼児虐待で大騒ぎになっていただろう。海はいつも顔や体中に痣を作って腫らして、なのに、そう、いつ殴られるとも知れないのに、海はいつもいつも、陸のそばにいた。後ろにくっついて離れなかった。落ち着いているときの陸はそれは優しく海の面倒を見て、可愛がっていたのだ。
 だからこそ、龍二は最初、なぜ陸がそんなに海に暴力を振るうのか理解できなかった。今でも心からの理解はできていない。だが、あれから10年以上の月日が過ぎ、陸も龍二も高校を卒業して働き始め、施設からも独立したというのに、陸と海の関係は変わっていなかった。久しぶりに龍二が陸のアパートを訪ねてみれば、いつの間にか陸と海が同居を始めていて、また、些細なことで海は陸に殴られている。龍二にとってそれは、もうすっかり見慣れた光景だった。
 ハァッ、ハァッ、ハァッ、と荒い息に細い肩を弾ませ、陸は海の頭を蹴り飛ばしてようやく気が済んだようだった。大人になっても細身で小柄なままの陸は、怒りで輝く瞳を床に転がった海に向け、ペッ、と唾をその顔に飛ばした。
「…舐めて綺麗にしろ、イヌ」
 狭い台所の板間には海の血が飛び散り、涙と鼻水と血で顔中をぐしゃぐしゃにして海が泣きじゃくっていた。それは倒錯的な眺めだった。ほっそりと小柄な陸に対して、伸びやかで健康的な体躯の海はガテン系のバイトでよく筋肉が鍛えられていた。もし海が刃向かったなら、陸は決して敵わないだろう。それだけの体格差が二人にはあった。それなのに海は抵抗する素振りも見せず、陸に暴力を振るわれ、大きな体を小さく縮こませて床に這い蹲っている。陸に命じられるまま、海は床に落ちた自分の涙や鼻血を、泣きながらペロペロと舐め取った。
「…終わった?」
2
 狭い玄関先の壁に寄りかかったまま、二人の儀式が終わるのを待っていた龍二は、低くぼそりと問いかけた。
 今龍二のことを思い出したという顔で、陸が龍二を振り返った。海は聞こえていないのか反応もなく、ただ泣きながら床を舐めている。
「悪い、待たせた?」
「…や」
「ま、上がれよ」
 龍二は壁から肩を起こし、靴を脱いで床に上がった。あえて、龍二は今見た光景について何か言うような真似はしなかった。陸が自分と海とのことに口出しされるのを一番嫌っていることを、龍二は本能的に知っていた。
 陸が顎をしゃくって、龍二を続きの畳の部屋へと招く。龍二は隣の狭い部屋へと入った。台所の板の間と、この畳の部屋を合わせても12畳程度だろう。こんな狭いアパートに、陸は海と二人で住んでいる。
 磨りガラスの引き戸を軋ませて閉め、陸は板の間と畳の部屋とを仕切った。
「来るの久しぶりだよな」
「あーまぁ。ちょっと仕事忙しかったし」
 適当に畳の上に腰を下ろしながら、龍二はちらっと磨りガラスの向こうを窺った。曇った磨りガラス越しに、海が床を舐めて動くのがわずかに見えた。
「…一緒に住んでるとは思わなかった」
「ああ。海も卒業したからな」
 あっさり陸は言って、それ以上の会話は打ち切られた。沈黙が降り、黙って陸が自分の着ている薄手のセーターの裾を捲り上げた。
「…しに来たんだろ」
 図星を指され、龍二は板の間を気にしながらうろたえた。
「そ、そうだけど。海がいるじゃん」
「気にすんな。
 ……気にする?」
 早くも首下まで捲り上げて袖から腕を抜く陸の、薄い胸が龍二から見えた。ごくり、と息を飲んで、龍二は磨りガラスの向こうを意識から追い払った。
「いや。
 …抱きたい」
 短く言った龍二の声は低く掠れていた。陸が、表情の乏しい整った顔に、薄く笑みを浮かべた。


 セーターを脱ぐ陸を前に、龍二は上に羽織っていたジャケットを脱ぎ捨て、Tシャツの裾を捲り上げて首から引き抜いた。磨りガラスで隔てただけの隣に海がいるのだ、そう思うと龍二は興奮を覚えた。
「なぁ…しゃぶってくれよ、陸」
 日焼けした上半身を晒したところで、龍二は畳に胡坐を掻いたまま陸の手首を掴んで引き寄せた。陸が唇に笑みを浮かべて、繊細な細い指を龍二の股間へと伸ばしてきた。その指が龍二のベルトのバックルを外し、ボタンを抜き、丁寧にジッパーを引き下ろしていく。龍二の前に跪いて、陸は言葉もなく股間へと顔を埋めた。
 隣からは何の音も気配もない。
 龍二は陸の薄茶けた髪を指で掴み、さらに股間へと押し付けた。綺麗に整った陸がこれから自分のものを咥えようとしているのだ。そう思うだけで、龍二の性器は硬く痼った。
 陸の鼻先が下着の上から龍二のものを押し、歯が布地を引っ張って、舌が舐め上げる。
3
「…焦らすなよ、陸」
 先を促しながら、龍二の片手は陸の滑らかな背中を辿っていた。くっきりと浮き出た肩甲骨を手の平で包み、滑らかな感触と骨の凹凸を楽しんで撫で下ろしていく。陸が歯で下着を噛み、引っ張って、龍二の既に硬いものを外気に晒した。
「もう、でかくなってんの。元気すぎんじゃねえの、オマエ」
 陸の笑う息を昂ぶったペニスに受け、龍二は余裕なく口をゆがめた。
「久しぶりだからさ。早くしゃぶれよ。焦らすなっつったろ?」
「いいよ」
 陸が薄い唇から赤い舌を出し、龍二の性器を根元から舐め上げた。ぞくりと刺激を受けて、龍二は息を飲んだ。慣れた様子で陸は龍二のペニスを舐め上げ、括れを舌で何度もつつくように吸いながら、片手が巧みに陰嚢を揉んだ。それはみるみる力を持ち、硬く膨らんで一気に反り返った。いくら久しぶりとはいえ、龍二のペニスは恥ずかしいくらいに快感に正直だった。
「…かわいい…」
 興奮したように陸が囁き、小造りな唇を大きく開け、膨らんだ亀頭をその口内に引き入れた。上からその様を見下ろしている龍二も興奮した。綺麗に整った顔の陸が不自然に唇を開き、龍二のグロテスクとも言える性器を咥えている。興奮しないはずがなかった。巧みに陸は龍二のペニスをしゃぶり、舌先で溝をなぞって、鈴口を刺激した。片手が陰嚢を揉み、根元から裏筋を爪の先でくすぐるのも忘れなかった。
 ごく、と喉を鳴らして、龍二は荒くなる呼吸に耐えながら、陸の背中を撫でる手を腰まで滑らせて、かなり緩いコーデュロイパンツの中へ差し入れた。尾てい骨から尻の狭間を指の腹で撫でると、陸の背筋がビクっと跳ねた。
「……ハァ…、陸…」
 無意識に胡坐を掻いていた尻を少し浮かし、前屈みになって、龍二は自ら陸の口中深くにペニスを突き入れた。えずいたのか、息を詰まらせた陸が首を引こうとしたが、龍二は髪を掴んだ片手で押さえつけて許さずに、腰を揺すった。陸の濡れた舌や柔らかい唇でペニスが擦れるのが堪らない快感だった。もう、龍二のそれは張り詰め、筋を浮かせ、先端からは苦い先走りを垂らしていた。
 龍二が腰を揺する度に、硬く膨らんだ亀頭が喉を突いて苦しいのか、陸は首を振って引こうとした。
 龍二は髪を掴んで許さずに、一層前に屈んで、コーデュロイパンツの隙間に差し入れた手で強く尻の狭間を掴んで陸の体を固定した。
「……っん、んふ…っ、…ぅンン…っ」
 陸が苦しげな息を漏らす中、龍二は浮かした腰を存分に揺すって、陸の口の中を味わった。同時に、尻を掴んだ手の中指で狭間を撫で、柔らかい肛門の襞を指の腹で押した。苦しい息の中、陸が体を緊張させるのが触れた肌から龍二にもはっきりと伝わった。龍二は乾いた指先を強引に狭い孔へと食い込ませた。
「…ンーっ、…っんっ、っんっ」
 皮膚が引き攣れて痛いのだろう、陸がくぐもった苦鳴を漏らした。龍二はその陸の声に興奮した。腰をわずかに引き、弾みを付けて、陸の喉を穿つように龍二は突き入れた。限界まで張り詰めた亀頭が、喉の濡れた肉に締め付けられる快感。腰を回して唇に何度も幹を擦らせて、龍二は動きを止めると射精した。強い恍惚の中、手加減を忘れた龍二の指が陸の狭い肛門を貫き、根元まで押し入った。指を締め付ける、陸の熱い粘膜が震えている。
4
 ハァ、ハァ、と息を荒げながら、龍二はゆっくりと陸の唇からペニスを引き抜いた。陸の口から白い糸が後を引き、咳き込みながら陸は龍二の膝の上に寄り掛かった。龍二は陸の髪を掴んで顔を上げさせて覗き、その唇が自分の精で白く濡れているのを見つめて、ごくりと息を飲んだ。陸の瞳は赤く涙で滲んでいた。
「陸、後ろ……こっちでも、しゃぶりてぇだろ?」
 興奮に掠れた声で龍二は陸に囁きかけた。吐精したばかりの龍二のペニスは陸の唾液に濡れ、テカテカと光り、まだ張りを失っていなかった。龍二は根元まで陸に咥えこませたままの指を揺すった。ひくっと陸が息を飲んで、涙に濡れた瞳で頷いた。喉も尻も苦しかっただろうに、不思議なほど陸は龍二の言うがままだった。
「…欲しい…、はやく、龍二」
「じゃあ、ケツこっちに向けろよ、陸。後ろからぶち込んでやる」
 龍二は命じながら、指を引き抜いた。陸は切なそうに目を逸らして、のろのろと体を起こし、龍二に背を向けた。そして陸は自分でコーデュロイパンツの前を寛げ、下着ごと膝上までずり下げて、小振りな白い尻を剥き出しにした。
 龍二は陸の背中に覆い被さって肩の上に顎を乗せ、陸の耳に唇を押し当てた。
「手、つけよ、陸。犬みてぇに」
 龍二は、陸が海をイヌと呼ぶのを思い出しながら囁いた。陸は素直に両手を畳に突き、四つん這いになった。白い背中も尻も、龍二の目の前にあった。それは龍二が貫くために捧げられた体だった。


「…ッァ、…ッハっ、ぅん…くっ」
 龍二は四つん這いにさせた陸の背に圧し掛かり、片手の指を強引の尻の孔へと食い込ませた。乾いたままの指は中々奥に入らなかったが、抵抗する括約筋の隙間に回すように指を押し入れ、根元まで含ませた。陸は苦しげに背中を打ち震わせて喘ぐように息を吐いた。
「乱暴に、されんの、好きだよな…陸は」
 耳元に囁きながら、龍二は性急に指を揺すり、回した。乾いた皮膚が吸い付いて龍二の指を食い締めた。指先の腹を包む粘膜のわずかな湿りを前後に伸ばし、龍二は陸のキツイ括約筋を徐々にほぐした。
「ハァ……っ、龍…二…っ」
 陸の声に、痛みとともに確かに快感が滲み始めていた。
 龍二は荒々しく指を横に引いて肛門をいびつに拓かせ、その隙間からもう一本指を加えて挿入した。二本の指をぐりぐりと回しながら出し入れさせ、狭い穴を拓いた。
「…ッハァ、…っあぁ、…っ龍二…ッ」
 陸が畳に突いた両腕をぶるぶると震わせて頭を振った。龍二は片腕で陸の胸を抱き、その項に後ろから口付けて強く噛み付いた。陸の背筋が小刻みに震え、感じ切ったように陸が喘いだ。
「イイだろ、もう欲しいだろ、陸」
 薄く皮膚を噛み切り、項に滲んだ血を舐め取りながら龍二が囁くと、陸は何度も首を揺らして頷いた。
「欲し…っ、龍二、欲しい…っ」
 掠れて欲の滲んだ陸の声を聞いた瞬間に、龍二は陸の尻から指を引き抜いていた。寛げたままだった下着から既に硬く猛っているペニスを引き出し、先端の濡れたそれを龍二は陸の尻の孔に宛がった。陸が、あぁ、と息を漏らして、尻から背中を震わせた。
「陸…」
5
 龍二は陸の細い腰を指の跡が残るほど強く掴んで、硬いペニスの先を陸の孔に食い込ませていった。
「…ッァ、…ッァ」
 陸は震えていた腕を曲げ、畳に片頬を押し付けて喘いだ。狭い括約筋が龍二の太い亀頭を食い締め、龍二は痛みに顔を歪めながら少し腰を引き、直後にぐっと押し込んだ。一瞬緩んだ括約筋を太い亀頭が抜けると、後はもう括れから太い根元まで一気に押し入れた。潤いの足りない肛門が一杯に拓かれ、陸が畳に額を擦り付けて涙の滲んだ声を上げた。
「…痛、…っイ…、切れ…たァ…ッ、…ッン」
 言われて龍二が片手の指で陸との結合部をなぞると、確かにヌルリとした血の感触があった。龍二は構わず、腰をゆっくり回し始めながら、陸の耳元に低く囁いた。
「…イイんだろ、濡れてるほうが陸は好きだろ」
「…ッハァ、…ッアァ、…ッ龍…二…ッ」
 きゅう、と陸の尻が龍二のものを締め付けてくる。
 龍二は堪らず、陸の尻を突き上げた。
 血と龍二の先走りで、陸の尻からは濡れた音が漏れた。チュッ、クチュッと、それは隠しようもない隠微な音で、龍二は煽られたように抽送を荒げた。ズルルッと引き出される龍二のものは赤黒く猛り、筋さえ浮かせて、凶器のように陸の尻に飲み込まれる。迫り出したカリがイイ場所を擦る度に、陸が身悶えして喘いだ。
「…ッハァ、…ッイィ、…イ…っりゅう…じ…っ、龍二…っ」
 パタ、パタパタ、と畳の上に陸の先走りが落ちた。
 龍二も陸も絶頂は近かった。
 陸の細い腰に指を食い込ませて握り、龍二は抜けるぎりぎりまで腰を引いては、弾みをつけて一気に陸の尻を貫いた。時折角度を変えて異なる締め付けを楽しみ、徐々になくなる余裕とともに龍二はストロークの激しさを増した。ペニスを深くまで挿入するとグチュッと音が鳴り、陸の尻孔から血と泡だった先走りが溢れ、きゅうっと肛門が締まった。それは堪らない快感で、龍二はまた自分のペニスが太さを増すのをはっきりと自覚した。
「…っ陸…ッ」
 ッハァ、ッハァ、と互いに獣のように荒い呼吸を繰り返し、貪欲に快感だけを追い詰めた。
 もうペニスを陸の尻孔で擦ることだけに没頭し、龍二は腰を揺する弾みで視線を上げた。龍二の視線の先、ぴったりと閉じていたはずの磨りガラスがわずかに開いていた。ぞくっと龍二の全身に快感が走った。その隙間から、海が覗いていた。表情までは読めない。ただ暗い瞳で、海は龍二と交わる陸を狂おしく見つめていた。
「…ッ」
「…ッァ、…ッァン、…ッイ…ッ、イイ…っりゅう…じッ」
 限界まで硬く太くなった亀頭で龍二は陸を抉った。陸が啜り泣きながら精を放った。堪らない締め付けに、龍二は陸の尻孔に精を吐き出していた。断続的に続く快感の中、龍二は締め付ける孔からペニスを抜き出し、陸の白い尻から背中に向かって続けて精を放った。白濁と血がべったりと陸のカラダを汚した。
「…ハァ、…アァ、…ハァ、…ァ、ァ」
 陸の荒い息を聞きながら、龍二は自分もまだ整わない息に肩を揺らし、再び磨りガラスを見た。海はまだ、隙間からこちらを見ていた。そして龍二と視線が合うと、海はさっと瞳を伏せ、磨りガラスを閉じた。曇ったガラスに映る海の体が遠ざかった。
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 龍二は気怠るさと心地いい快感に浸りながら、目の前で荒い息に揺れる陸のカラダに手を伸ばした。自分の吐き出した精液と陸自身の血で汚れた背中を、さらに擦り付けるように手の平で撫で回した。尻のほうまで撫でると、過敏になった陸がひくっと背筋を震わせた。
「…も、触んな。汚ぇ」
 ようやく呼吸を落ち着かせた陸が短く言って、少し怠そうに体を起こした。膝下に中途半端に穿いたままだったコーデュロイパンツと下着を脱ぎ捨て、素っ裸のまま陸は立ち上がった。
「シャワー浴びてくる」
「…ん、ああ」
 龍二は頷き、手近のティッシュボックスを引き寄せて数枚引き抜き、自分のペニスを拭って下着の中に納めた。歩き出す陸に目をやると、つい先ほどまで龍二のものを飲み込んでいた尻から内腿へと、血でピンクに濁った白濁が伝い落ちていた。細い均整のとれた陸の体は、まだ火照りを残して薄っすらと赤らんでいた。
「わるい、陸、痛むか?」
 磨りガラスの引き戸を開ける陸に龍二が呼びかけると、陸は振り向かずにひらひらと後ろ手を振った。
「…りっちゃ…」
 引き戸を開けた先には海がうずくまっていた。陸が出てきたのを見て海が慌てて声を上げたが、陸は海には一声もなく台所に出て、浴室へと続くドアの中へと消えた。
 気まずい沈黙が降りた。


 すぐに、浴室から陸がシャワーを使う音が聞こえてきた。
 龍二はボトムを整えて立ち上がり、磨りガラスまで歩いた。桟に手を掛けて、龍二は寄りかかりながら久しぶりに会う海をまじまじと見つめた。
 高校のときから工事現場でバイトをしていた海はよく日焼けして、その体躯は鍛えられて立派だった。幼かった顔立ちは引き締まって男臭く成長し、ただ大きな口に彼らしい愛嬌が残っている。
「久しぶり、海。元気だったか?」
 流しの前に蹲っている海に龍二が声を掛けると、海はビクっと顔を上げ、瞬いて龍二を見た。目のそばや顎に青痣がくっきりと浮かび、唇は切れ、痛々しかったが、海は少し間を空けて笑った。直後、イテっと口を片手で押さえたが、それでも海の笑みは消えなかった。
「う、うん、龍ちゃんは元気だった?」
「ああ。まぁな。
 ってか、またひどくやられたな」
 溜息して龍二は海に一歩近づき、しゃがんで顔を覗き込んだ。
「どれ。まったく、陸も手加減しねえからな。今日は何が原因なんだ?」
 龍二は海の顎に手を掛け、くい、と上向けさせた。海は素直だった。龍二が切れた唇の端に指で触れると、海はビクッと痛みに顔をしかめたが、龍二の手を払うようなことはなかった。
「…りっちゃん、悪くねえよ。俺が部屋片さなかったからりっちゃん…」
「部屋ァ? んなことぐらいで陸のバカは…」
 龍二が溜息をついたところで、ふいに浴室のドアが開いた。
「…ァにやってんだ!」
 ただシャワーを浴びただけだったのだろう、早くも陸は浴室から出てきて、タオルを肩に羽織っただけの姿でこちらを睨んだ。ぽたぽたと髪から雫が落ち、陸の滑らかな頬から顎、床へと伝い落ちた。
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「り、りっちゃ…」
「陸、何もしてねえよ、ただ」
「もうオマエ帰れっ」
 慌てて説明する二人に大股に陸は近づき、いきなり海の手首を掴んで引っ張った。蹲っていた海が床に上体を崩し、傷めていた脇腹かどこかが痛んだのか低く呻いた。
「おい、陸、乱暴は」
「口出しすんじゃねえよっ」
 陸の真っ直ぐな瞳に冷たく言い切られて、龍二は言葉を飲んだ。床に引き据えられた海はじっとして、抗う様子もない。
「…帰れ、もう用は済んだだろ」
 はっきりと唇を動かして言う陸に、龍二は返す言葉がなかった。つい数分前まで、自分の下で思う様に貪った体が目の前にあるのに、龍二にとってもう陸は遠い存在だった。
 溜息をついて龍二は腰を上げた。
「また来るよ」
 低く言った龍二に答えはなかった。
 部屋に一旦戻って龍二はジャケットを羽織り、玄関へ出て靴を履いた。振り返ると、陸が抱き起こした海の唇の傷の具合を、まるで口付けでもするように顔を近づけて見入っていた。
「り……」
 呼びかけようとして、龍二は言葉を飲んだ。もう、陸と海は二人の世界に入っていた。こうなると、龍二が呼びかけても無駄だった。
 龍二はただ黙ってドアを開け、部屋を出た。冷たい秋の風が首筋を撫で、龍二はふいに芯から震えるような寒さを覚えた。