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■無題

深い眠りから覚めたオレが一番に感じたのは、下肢の気持ち悪い不快感と、起き上がれない程の腹痛だった。
苦痛に耐え躯を動かすと、微かに軋む音が耳に届く。
「!?」
それは、畳に敷いた万年床で眠るオレの部屋にはあるはずのない音。
オレは痛みに耐えながら、おそるおそる瞼を見開いた。
真っ先に目に飛び込んできたのは薄青色のシーツ。顔を上げると狭いワンルームの室内が見えた。
焦げ茶色の板間の真ん中にベージュ色のカーペット。黒いガラステーブルとそれを囲うように散らばる形の揃わないクッション。壁を背に14インチのテレビやコンポが直接床に置かれている。

オレは、部屋の隅の安作りなパイプベットに寝かされていた。
「どこだ…?」
見知らぬ部屋だった。
「うっ…」
腹痛に耐え切れず、オレは躯を丸めた。両手をお腹に置いてさする。少し和らいだ錯覚を感じながら苦痛を堪えていると、次第に便意を感じ始めた。
「トイレは…」
下痢かもしれない―――。
このまま洩らしてしまいそうな恐怖を覚えて、オレは痛みに耐えながら躯を起こした。
捲った布団の下から現れた下肢に瞠目した。全裸な上、不快を感じた下肢には沢山の精液がそのままにこびりついている。
「!?」
他人の部屋で、他人のベットでオレは夢精したのか…!?
ここに居る理由さえ判らないまま、昨夜見た夢も思い出せない。しかし、そのことを気に掛けている余裕はなかった。
お腹はぐるぐると鳴り、尻穴からは今にも漏れそうだった。
「早く…」
早くトイレに行かないと…。
誰の部屋か知らないけれど、これ以上の醜態を晒すわけにはいかなかった。
しかし―――。
躯は自分の思うように動いてはくれず、オレは大きな音を立ててベットから落ちた。
「くっ」
強い衝撃が下肢に走る。
オレは振り切るように頭を振った。今までに感じたことのないような重力を躯全体に感じながら、両手で躯を支え床を這うように進んだ。

腹痛は激しさを増し、少しでも気を緩めようなら、場所を弁えず今にも漏らしてしまいそうだった。
オレは下肢に少しでも刺激を与えないように気遣いながら、トイレがあると思われる場所に向かった。
やっと部屋を出た時だった。敷居を越えた安堵を嘲うかのように、玄関から施錠を開く音がした。オレの目の前で、ゆっくりと扉が開く。
「やあ、起きたんだ?」
日の光を背に入って来たのは、遠い記憶の中の友。もう何年になるか。親の転勤で引っ越して行ったきりの幼馴染み。いや、幼馴染みと言える程付き合いがあっただろうか。

「覚えてるんだ?僕のこと」
オレの表情から読み取ったのだろう。自分でも不思議だった。こんなに久しい顔を一目見て分かるなんて。
女の子みたいだった顔つきはそのまま、端正な顔立ちに成長していた。
「どうしたの?こんなところで」
穏やかな彼の言葉に、刹那忘れていた便意が激痛を伴って甦った。
「うっ…」
全身から汗が滲み出る。両手で躯を支えることも先へ進むことも出来なくなっていた。現状に目が眩む。
「どうしたの?」
彼が歩み寄り、オレの前に膝を突いて屈み込んだ。彼の掌がオレの躯をそっと撫でる。
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「ぁ…」
快感が全身を突き抜けた。だた撫でられているだけで躯が震えた。
「感じたんだ?」
嬉しそうな彼の声。オレに対する侮蔑は感じられない。
「一晩で…こんなに感じ易くなってくれるなんて。嬉しいな」
彼が呟いた喜びの言葉に、オレは不思議な感覚を覚えた。しかし、彼の言葉の真意を探っている暇はオレにはない。
「トイレ…」
羞恥心もなかった。それを感じている心の余裕などなかった。
早く、早くトイレに行きたい―――。
ところが、オレの言葉を聞いた彼は思わぬ行動に出た。オレを抱き上げたかと思うと部屋へ引き返したのだ。
「ちょ…!?」
彼の腕から逃げ出す力も思うように出せず、オレは再び、さっきまで居たベットに下ろされた。
「もう少し我慢してて」
彼はそう言うと、ベットから離れて床のカーペットをテーブルごと端に寄せた。押入れから区の指定ゴミ袋を取り出して、引き裂いて床に広げる。
彼は再びオレを抱え上げると、その広げたビニール袋の上にそっと下ろした。突いたお尻からビニールのひんやりした感触が下肢に伝わる。
オレは怯えた目を彼に向けていたと思う。言葉などなくても、彼の考えが解ってしまったから。しかし、頭では理解しても心は否定したがっていた。
両手で自らの躯を抱き締めて、激痛と便意に耐えながらオレは頭を振っていた。自然に溢れてくる涙が頬から顎、胸に伝い落ちる。
彼は少し離れた場所でじっとオレを見ていた。
「見せてよ」
少し興奮気味の彼の声。オレの錯覚だろうか。
「出来なっ……ぃ」
激しく頭を振っても彼からの答えはなく、時間だけが過ぎていく。
ベットを出た時点で限界に近かった。今はもう限界を超えていた。
「あああ…いやっ!!嫌だ!!!」
オレは悲鳴のような叫び声を揚げた。
茶色の液状のものが尻穴から漏れ出した。後を追うように柔らかい固形物が排泄される。
彼に見詰められながら、オレは長い時間を掛けて泣きながら排泄した。
全てを出し終え、異臭の立ち込める中で彼が言った。
「下痢気味だね。昨日掻き出さないで寝たせいかな。お腹痛かっただろう?ごめんね」
彼の言葉にオレの涙が止まった。意味が解からない……。
彼はオレに近寄りそっと両手で頬を包み込んだ。
「可愛い…」
彼の声が甘く響く。
「昨日も思ったけど、君の泣き顔はなんて可愛いんだろう」
恍惚とした表情で彼が呟いた。
ゆっくりと顔が近付き、オレの唇に彼の唇が重なった。彼の舌がなぞるようにオレの唇を撫で、薄く開いていた唇を割って舌が入ってくる。逃げる事を考えるよりも先に驚きで躯が動かなかった。
驚きは彼に口付けされたことではなく、躯が彼を覚えていたこと。
彼の口付けにオレの記憶が呼び起こされた。口腔を蠢く彼の舌に感じながら、オレは昨夜の出来事を思い出した。
オレは彼女に振られた失恋の辛さから、自棄酒喰らって居酒屋を梯子していた。何軒目か分からなくなり、自分自身の居場所さえ把握出来ず朦朧としていた時、彼に会った。
彼の優しさにオレは甘え、理性の崩れた状態で誘われたまま本能に溺れた。
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平常ならば有り得ないことだった。男と関係を持つなんて。考える以前に嫌悪感が沸いていた筈だった。誘われても逃げ出していた筈だった。
彼の舌がオレの唇を舐めて離れていった。それをぼんやりとオレの目が追う。
「君は僕の物だよ」
彼の唇が言葉を紡ぐ。
「約束したよね」
断片的に残る記憶がオレを縛る。
判断力を失ったオレの頭は、重ねて言われた言葉に頷いていた。それがどういう意味を持つか判っていながら、オレは頭を縦に振っていた。
彼は手元の紙袋を引き寄せて、中から首輪を取り出した。
「もう君は僕のペットだよ……」

FIN.