1 癒牙密
女性 22歳 神奈川

10年目。

切ったり、焼いたり、削いだり、刺したり、殴ったり。
自傷行為を始めて10年。
やっと、自分で自分を傷付けずに365日を過ごす事ができました。

腕や足には、白、茶、赤の傷が、なみなみとデコボコを作っていますが、きっともう、新しい傷は増えない。増やさない。
この一年、血を見たい衝動は毎日のようにあったけど、我慢できた。

ちょうど一年前、母に血だらけのベランダを見せた。悲しそうにベランダにブラシをかける母の姿をじっとみた。
もう母に『ごめんね』と言わせたくないから、私は笑顔で生きていけるよ。

もう半袖も水着も着れない。一緒に温泉も行かない。
でも生きてるから、お母さん、思い出いっぱい作ろうね。
私は幸せだから、長袖の私を悲しそうに見るのはやめてよね。

愛してるよ。見捨てないでいてくれて、ありがとう。
あなたのせいじゃないよ。

私にも今なら見えた幸せが、傷をもつ皆さんにも見える日がきますように。
[職業]
社会復帰活動中。
(T003/au)
2 スカイ
一年間切らないって言うのは簡単だけど、いざすると大変何ですよね…

これからいっぱい思い出作って下さい
(SH007/au)
3 癒牙密
スカイさん
ありがとうございます。一年は本当に長かったですが、それまで9年間切り続けた自分を責めるのではなく、許して褒めてあげた時、何だか気が楽になったのかもしれません。
このサイトに出入りしてるうちは、自分の中にまだ切りたい気持ちがあるってことだろうし、まだまだ完治とは言えないんだろうから、これからも頑張ります。
スカイさんも、どうぞお大事になさってください。
(T003/au)
4 沙李
書き込み失礼します。すごいです。
一年もやらずに‥ってゆぅのは。
みていた感動の涙が溢れました。

私もリスカをしていました。隠さないで普通に過ごしていました。でもこんな傷をみていい気分になる人もいませんよね。
友達にバレて「やめろ」と毎日のよぅに言われました。私からしたらそれゎ「やれ」と言われているようで‥それがストレスとなりいつも切ってしまっていました。でもただ一人私を受け入れてくれる友達がいました。その友達ゎやめろとも言いませんでした。私がやるたび「大丈夫」という言葉をくれました。でも
私ゎやめれませんでした。でもリスカをして一週間くらいで母親にみつかりました。でも最初は、母も「なんでしたん?理由は?理由は?」とただ問いただすだけでした。私ゎ「ストレス」と言っておきました。母は「親に産んでもらった体に感謝の気持ちが足りんのよ」と叱られました。私は「母さんにはこの気持ち分からんわい!」と怒鳴って部屋にこもってました。ちょっとして母と話をして自分のしたことがすごく親を傷つけるものだ。とわかりました。母は優しく私を受け入れてくれました。でもどんなに辛いことがあっても自分の体は傷つけたらダメだと言われました。私のしたことに対して私と一緒に泣いている母をみてもうしないでおこうと決めました。そのあとには私の傷がちょっとでも見えないように、痕が残らないようにと薬をぬってくれたりしてくれました。私はこのとき「母は強いなぁ、私もこんな風に強くなりたい」って初めて母を尊敬した日でした。自分の子供がリスカして辛いけど、それでも私の体の事を一番に考えてくれる母が大好きで。辛いことがあってもやっぱり助けてくれるのは友達でもない母親でした。それから切りたくもなるけど必死で抑えてます。体の傷は残るかもしれないけど心の傷は少し癒された気がします。

ながながと長文失礼しました。なんだかちょっと内容が似ているような気がして書き込ませてもらいました。似てはないですかね?母親の大切さがわかったってところが私と一緒だと思いました。同じような考えを持ってくれている人がいると想って安心しています。なんだか何を言ってるのか分からないですけど‥お互いに頑張りましょう!
(F08B/FOMA)
5 愛林檎
書き込み失礼します(__)

僕がリスカして親ゎ
助けてくれなかった。
言うだけ言って
僕を傷付けて
助けてくれなかった。
ただ 生きたいだけなのに-…
助けて欲しかっただけなのに。
(P07A3/FOMA)