27 無名さん
ユタ州トゥーイル群の郊外、荒野にその白い巨大な壁は唐突に聳え立っている。遥か空と地平線に向かって果てしなく直立する馬鹿げた巨大な白い壁は、400km上空の情報収集衛星が撮影したデシタル写真によるとただの壁ではなく、地球に半分ほどめり込んだ小さな月のような半球体だった。試算によると内面積およそ600ヘクタールという途方も無い土地を覆う、全天周型ドームなのだ。かつてダグウェイ実験場と呼ばれ、レジナルド・ケンダル統合化学実験施設は現在でも稼働を続けて月面基地の如くリトルルナ――我々はこのドームをリトルルナと呼んでいる――に併設されたままだ。
張り込みを続けたところ、きっちり三時間に一度、リトルルナは口を開き大型トラックを出入りさせる。生活廃棄物が運び出され、生活必需品が運び込まれているようだ。その量たるや、おおよそ100人が余裕を持って生活できるほどだ。外周を張り込むだけではこれ以上の何かを突き止めることは叶わなかった。

――ソルトレイク市。トゥーイル群の中心都市であり観光都市でもある治安の良いこの街に、不釣り合いなガラの悪い飲んだくれがいた。頬の痩けた無精髭の東洋人だった。彼は寝惚け眼で、今なお見続けている悪夢を語るかのように酒焼けした声を絞り出してリトルルナについて語ってくれた。彼の訛りは典型的なジャパニーズイングリッシュだった。

曰く、リトルルナの中は遊園地やデパート、高級住宅街が建ち並ぶ夢のような街並みが広がり、100人の日本人が暮らしている。全天周型ドームが日本の季節を演出し、空調が日本の四季と気温を再現している。スプリンクラーが雨を、雹を、雪を降らせ、スピーカーが自然音で伴奏する。誰一人としてここがアメリカであると信じない。日本だと思っている、思い込まされている。
――カルム村。ドームの内側はそう呼ばれていた。平静や無風を意味する言葉を冠する村だ。

飲んだくれた東洋人は気を持たせるかのようにそこで言葉を区切った。情報料をせびられてると思い飲み代を奢ってやったが、疲れたように笑いながら彼はさっさと帰ってしまった。
彼が再び我々の前に姿を現すことはなかった。ソルトレイク市のどこからも消え去ってしまった。