56 無名さん
…ここでしたか。もう逃しませんよ。貴方には、おとなしく僕に捕まって貰うしか道はないんです。さあ、覚悟を決めて出て来て下さい。(夕焼けに燃えていた茜空も、時が経つごとに色が抜け行き、藍色の侵略へと身を委ね始めた放課後。駐輪場から中庭へ抜ける道の丁度途中にある用具入れ ―無理をすれば男子生徒が四、五人は入れるだろうゆったりめのスペース― の、開け放たれた儘放置されていた扉を囲う様に、仁王立ちの男が一人。芝居染みたその台詞が不穏に響いたのは、不本意ながら時間経過の所為で苛立ちを覚えている為である。此処に至る迄の苦労を思えば、それも仕方ないのかも知れない。発端は期間限定で一学年が管理、飼育しているうさぎの世話を、飼育係の急な欠席と言う理由で安請け合いしてしまった事にある。慣れない作業中に、自分のミスで一羽の脱走兎を出し、その侭捕獲作業に明け暮れた事も反省点と言えるだろう。動物の扱いに余り慣れていない為か、此れ程迄に手古摺るのは予想外であった。兎が間違いなく用具入れ中に入って行くのを確認しているお陰で、姿は確認出来ていなくとも、後は道具の物陰何処かへ潜んでいる獲物を捕まえるだけ。用具倉庫の中を見詰め、殺気を込めた視線で室内を探っている限り、そう上手く事が運ぶとも思えない状況であるが、果たして/↑)

(平日の放課後暇つぶしに校内を散策していた際に通りかかった飼育小屋、動物が苦手な身としては長居したくないと思うのは当然で来た道を戻ろうとした寸前に、金属の扉が軋む音と軽やかな足音が耳を掠め振り返ってしまったのが運の尽き。誰もいない飼育小屋の扉が僅かに開いているのを発見しては、散策のお供にと持参した『春限定筍ミルクティー』という文字が踊る紙パックジュースのストローを咥えたまま怪訝な顔で近寄った矢先、白い毛に赤い瞳の兎が一羽半身を扉から覗かせて周囲を窺っている。春の午後の麗らかな陽射しの下、両者の視線が交わったのは一瞬で兎は呆然と立ち尽くす己に興味がなかったのか、とうとう全身を出して小屋の外に降り立った。己は脱走現場に立ち会わせてしまったらしいと瞬時に理解しては如何にかしようと腕を上げ下げしてみるも、己が苦手とする生物に触れるには勇気が足りず無意味な時間ばかりが過ぎて行く間に逃亡犯は呑気に周囲の雑草の匂いを嗅いで食に値するか検分しており。取り敢えず新たな脱走者が現れぬ様に扉を閉めて片腕で抑えつつ、兎が遠くへ行ってしまう前にと声を張り上げて/↑)
ちょッ…、お客様の中にウサギさん捕まえられる方いませんかー?!