恐ナビ
恐怖site100選!!!
怖いサイト.com
携帯怖いサイト集結

1 忍法帖

ネットで見つけた悲しい話

ネットで見つけた悲しい話や感動話、自分の悲しい話とか…集めてます
15 ソータロー
肝臓ガン?
ざまあみろ、クソッタレ!
14 オカルト板からきますた
2年前の8月10日、大好きだったじぃちゃんが亡くなりました。
私は小さい時からよくじぃちゃん家に泊まりに行ってました。泊まりに行くたびにいろんな事を教えてくれました。
本当に優しくてみんなから頼りにされていて絶対にツライと言わない人でした。

じぃちゃんの病名は「肝臓ガン」。
その事は私の親夫婦と叔父夫婦だけにつげられました。
私達孫とじぃちゃんとばぁちゃんは何も知らず3年間は今まで通りの生活をしていたのでした。

しかし、だんだん病気が進行し入退院を繰り返すようになりました。検査入院だと本人や周りに嘘をついていた叔父夫婦や親夫婦もとても辛かったと思います。
じぃちゃんはお見舞いに行くたびに決まって「いつ帰れるんだ」と聞いていました。
早く帰って仕事がしたいと…そんな体じゃなかったのに…お腹が妊婦さんのようにふくれあがりご飯が食べれなくなって息も苦しそうで家に帰ってきても寝てるばかりでした。
そして、ツライはずなのに明るく笑うのです。

そして最後の入院。
その時に私達やばぁちゃんに「今度が最後の入院だ」と言う事がしらされました。
実感がわかず、ただ早く病院に行きたいと思いました。

1週間後じぃちゃんは亡くなりました。
じぃちゃんの最後は親戚みんなにみとられ静かに最後までツライと言わず安らかな顔でじぃちゃんらしく亡くなりました。
じぃちゃんの人柄かお葬式にはたくさんの人が来てくれてみんな泣いて悲しんでくれました。
みんなじぃちゃんに感謝していました。

後日、遺品整理をしていると一冊のノートがでてきました。それはツライ中もうろうとした意識の中で書いたノートでした。

そこには

「もうかんねんした。亡き父母弟が迎えにきた。

もう長くない…(自分が病気なのを)黙っていたのはすべて私を思ってのため、辛かっただろう。

ありがとう。もうあきらめよう。楽しかった。ありがとう…」

と、最後に入院する日に家で書いたらしい…じぃちゃんは全部わかってたんだ…だから最後の入院では家に帰りたいって言わなかったんだ。

もっといっぱい喋ればよかった。

もっと優しくすればよかった。

もっと感謝すればよかった。

でも、いつか言ってた「すぐツライと言うのはほんとはツラくないんだよ」って。その言葉忘れない。

優しい気持ち忘れない。

じぃちゃんみたいにみんなに頼られて誰にでも優しくて明るくてがまん強い人になる。

ありがとう。じぃちゃん…忘れないよ…
13 オカルト板からきますた
12 オカルト板からきますた
ある河川敷に
二人の男女がいた
一人は車椅子の老婆
そして車椅子を
押している男性
この後この男性は
老婆の首をしめて殺害し
自らも包丁で首を切り
自殺をはかる
男性は通行に発見され
病院に搬送され助かる
そして
裁判の中で
この事件の経緯が
明らかにされた…

男性と老婆は親子で
あった
父親と母親は
同居しており
男性とは
別に暮らしていた
しかし父親が他界
してからは
男性と母親は
共に暮らすことになった
しかし父親の死後
高齢の母親は
認知症がひどくなり
夜中などに
出歩き警察に
保護されること
などが頻繁に起こった
そんな母親の介護の中で
男性は体を壊し
仕事を失った
今のご時世中年を
越えた人間を
雇ってくれる会社など
はそぅはない
特に母親の介護が
あったのでは
まともに外にもでれない
貯金も尽き二人の
生活は厳しくなる
男性のカードローンも
借り入れ度額
いっぱいになっていた
しかし国は生活保護を
認めなかった
そんな日々の中で
男性は母親との心中
を決意した
そして
ある冬の寒い日に
男性は母親と
市内を観光したのち
現場となった
河川敷に向かう
押していた車椅子を
とめて男性は
母親に言った

「オカン…ゴメン…
もぅ生きていけへん」

俯き目を赤くし
ながら立つ男性に
母親は言った

「そうか…アカンか…
あんたはうちの息子や
最後はうちがやったる…」

そぉ言いながら
男性を強く抱きしめた
この後に男性は
犯行に及ぶ

この事件の裁判の中で
男性はこんな事を
話した

「俺の手はオカンを
殺す為にあったん
ちゃうのに…」

検察側の陳述を
聞くときも男性は
背筋を伸ばし
上を見上げ
大粒の涙を流していた
検察側の意見にも
「被告には情状酌量を
願いたい」
とゆうこともあった

この事件に裁判長は
執行猶予をつけた
判決を
言い渡す際に
このようなことを
述べた

「本件で裁かれたのは
けして被告人
のみではない
救済の必要な人々に
てをさしのべなかった
行政・または国も
裁かれなくては
ならない
今後このような
痛ましい事件を
無くす為に
行政は制度を
改善していく
義務をはたすべきである」

裁判長のほほには
涙が流れていた…
11 オカルト板からきますた
知的障害のある女性に会いました。彼女はもう立派な大人ですが、いつも、4〜5才が書くお姫様の絵を描いたり、折り紙で切り絵をしたりして毎日を過ごしています。
彼女の知的障害と言う事に付け込みレイプされ赤ちゃんを妊娠しました。施設に入ってて、幼い心しか持たない彼女には、育てるのは難しく、子供は児童の施設に行きました。
でも、また、妊娠させられ、次の赤ちゃんは、病気がありすぐに亡くなってしまいました。
すいとうしょう?と聞いたように思います。間違えてたらごめんなさい。
赤ちゃんが大きくなったら、、どう考えるのだろう。。彼女は赤ちゃんの事を何処までわかっているのだろう。会いたいと言う感情はあるのだろうか? 私にはわからないです。ただ、毎日、お絵かきして楽しそうにしている彼女、毎回、同じビデオを何回も面白いよとすすめる彼女が、辛く、悲しいです。。
10 赤い靴
「岩崎かよ」が娘「きみ」をアメリカ人宣教師夫妻に養子に出す話。アメリカに行く前に、きみは結核を患ったためアメリカに行くことはできず、孤児院に預けられたが亡くなる。かよはその事実を知らず一生を過ごした。この話を元に「赤い靴」が作詞されたという説がある。函館にきみちゃん像がある。
9 オカルト板からきますた
岐阜県恵那市岩村町にある岩村城(別名・霧ヶ城)の女城主にまつわる話を。
戦国時代、岩村城は織田信長の支城で城主は遠山景任でした。
岩村城は武田信玄によって攻められたが織田信長の援護もあり城を守り抜いていました。
景任には信長の叔母にあたるおつやの方(岩村殿、修理夫人)が嫁いでいました。

元亀2年、景任は子供が無いまま病死してしまいました。
そこでおつやの方は信長の五男坊丸(後の勝長)を養子にし後継ぎにしました。
坊丸はまだ幼かったので、おつやの方が当主の座を引き継いで岩村城の女城主となりました。

天正元年、武田信玄の家臣秋山信友が岩村城を攻撃しました。
岩村城がなかなか陥落しないので、信友はひそかに計を巡らし、密使を城中に送り、
“私(秋山信友)と結婚して無事に城を明渡し、御坊丸を養子として家督を譲ることとしてはどうか”
とひそかにおつやの方を説得したのです。
岩村城は信友の策により、兵の裏切りが次々と出始めていました。
おつやの方も到底最後まで城を守ることが出来ないと悟り、この提案を承諾し信友と結婚しました。
こうして岩村城は無血開城し、武田軍の物になったのです。
信友は信長の叔母と結婚した事を信玄に咎められない様、坊丸を甲府に人質として送ってしまいました。(時に坊丸は七歳。)
これを聞いた信長は大いに怒りました。

天正3年、長篠の戦で武田勝頼の軍が敗戦すると、信長は岩村城を攻略すべく嫡子信忠を大将とする軍勢を送り込みました。数ヶ月に渡る持久戦の後、城中も次第に兵糧が乏しくなってきました。
兵卒も疲れをみせはじめ、武田の応援も無くなり、ついに岩村城は陥落してしまいました。
信長は、秋山信友をはじめおつやの方らを岩村城外において 逆磔(さかさはりつけ)にしてしまいました。

この時おつやの方は、声をあげて泣き悲しみ、
「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや因果の報いを受けん(私が女で弱かったた為にこうなったのだが、あなたの叔母である私をこの様な酷い殺し方で殺そうとする事は必ず因果の報いを受け死ぬであろう!)」
と絶叫し、亡くなったそうです。

織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれるのはその七年後の事でした。


※岐阜県恵那市岩村町では、おつやの方にちなみ、地元の醸造会社岩村醸造が「女城主」と名付けた日本酒を売り出しています。
8 オカルト板からきますた
http://www.youtube.com/watch?v=QvSq_hmDrnA
泣ける話〜彼女の遺言〜
7 オカルト板からきますた
5 自分を殺した男
これは1992年にアメリカのシカゴ市で起こった「驚くべき偶然」に関する実話です。悲しい話ではありますが、「不思議さ」や「奇妙さ」という点で群を抜いています。なお、上の画像はこの話の舞台になったシカゴのものですが、この話とは関係がありません。

1992年、シカゴ市にある26階建ての高層マンションの屋上から一人の男が投身自殺をしました。

彼が14階の外まで落ちてきたとき、その階にあるマンションの一室から撃たれた銃弾が自殺者の頭に当たり、男は即死しました。

この事件を調査した警察は奇妙な問題に直面することになりました。それは「男の死は自殺か? 他殺か?」というものでした。その裏にはかなり複雑な事情が潜んでいたのです。

男が自殺した日、ビルの清掃会社が12階の外壁に安全ネットを取り付けました。これは窓の清掃者が足を踏み外して落ちた場合の安全対策でした。でも、その安全ネットの幅は、ビルの屋上から身投げした人もキャッチできるほど広いものだったのです。

従って、銃が撃たれなければ、その男は命をとりとめていたはずなのです。

結局、男は銃弾にあたって死亡したので、殺人事件ということになります。それでは誰が銃を撃ったのでしょう?

警察の調査の結果、14階に住んでいる老夫婦のマンションから銃が撃たれたことが判明しました。

事件の起こった日に、二人は夫婦喧嘩をしていました。喧嘩の最中に、夫は机の引き出しから銃を取り出し、妻に向かって発砲したのです。

ところが、弾は妻に当たらず、窓を通り抜けて、落下中の自殺者の頭にあたったのでした。これで殺人者が判明しました……と思いきや、事はそれほど単純ではありませんでした。

発砲した夫は「銃には弾が込められていないと思った」と主張したのです。彼は頻繁に妻と喧嘩したのですが、その際、空の銃で妻を脅すことが常だったのです。

警察は夫の言葉を信じませんでした。ところが、妻に話を聞いたら、彼女は「夫の言ったことは正しい」と証言しました。夫婦喧嘩をするたびに、夫は妻に銃をつきつけて脅かしたのですが、銃には弾が込められていませんでした。すべては馬鹿げたゲームだったのです。

なぜこの日だけ、銃に弾が込められていたのでしょう? 夫婦はその疑問に答えることができませんでした。

更に調査を進めた結果、銃に弾を込めたのは夫婦の10代の息子であることが判明しました。息子は、母が死んだ時、高額の遺産金を受け取ることになっていました。そこで彼はひそかに銃に弾を込め、父が母に発砲するのを待っていたのです。

しかし、二人は数週間に渡り喧嘩しませんでした。息子はいつまで経ってもお金を得られないことに絶望し、自殺をはかりました。

彼は自分の住んでいるビルの屋上から身を投げ、14階の外まで落ちてきた時、自分が弾を込めた銃に撃たれ、死亡しました。

ちなみに、この事件を担当したシカゴ市警の元刑事は、今やこの話を公の場で話すことで生計を立てているそうです!
4 オカルト板からきますた
貼り貼りペタペタ
http://llike.net/2ch/Impression.htm
ゴルァ 泣けた
3 しもちゃんZ◆3mkf
>>2に登場する彼女のイメージ画像抜粋
http://p2.ms/9ab74
2 オカルト板からきますた