高橋幹也
2018年1月21日 千葉マリンマラソン
私のハーフマラソンは38歳の時にこの大会で出した1時間10分26
秒である。15キロ通貨は49分28秒だつたか。前半が追い風で公判が
向かい風だつた。当時は千葉ポートタワー折り返しだつた。拓銀の鈴
木剛弘さんや大胡コーチと走った時だ。今回は8月の伊達モモの里マ
ラソンで左足の肉離れをして以来 千倉、八千代、そして御殿場と
レース中に肉離れを起こし苦しいレースが続いていたなかでの千葉マ
リンなので不安があった。昨年まではハーフの部に出ていたが今年は
10Kの部にした。
家から自転車で会場まで行き公園入口に自転車停めてアップを始め
た。まあ、何とかなるかな・・・という気持ちでスタートした。しか
し またしても肉離れした。3キロ過ぎで左足が少し痛み始めたのだ
が、かばい足していたら4キロ過ぎで右足がいきなり激痛に襲われ
ペースダウン。ここまでで17分45秒。あとは流して走り、結果は49
分少しかかりましたよ。もうどうしようもありません。
私のハーフマラソンは38歳の時にこの大会で出した1時間10分26
秒である。15キロ通貨は49分28秒だつたか。前半が追い風で公判が
向かい風だつた。当時は千葉ポートタワー折り返しだつた。拓銀の鈴
木剛弘さんや大胡コーチと走った時だ。今回は8月の伊達モモの里マ
ラソンで左足の肉離れをして以来 千倉、八千代、そして御殿場と
レース中に肉離れを起こし苦しいレースが続いていたなかでの千葉マ
リンなので不安があった。昨年まではハーフの部に出ていたが今年は
10Kの部にした。
家から自転車で会場まで行き公園入口に自転車停めてアップを始め
た。まあ、何とかなるかな・・・という気持ちでスタートした。しか
し またしても肉離れした。3キロ過ぎで左足が少し痛み始めたのだ
が、かばい足していたら4キロ過ぎで右足がいきなり激痛に襲われ
ペースダウン。ここまでで17分45秒。あとは流して走り、結果は49
分少しかかりましたよ。もうどうしようもありません。
高橋幹也
2017年年末年始大練習会1
2017年12月も、31日から恒例の代練習会に行ってきました。県内では京成津田沼から西船まで走り、西船からは東西線、千代田線、小田急線、箱根登山線をつかって12時頃湯本に到着。12時08分から走り始めました。旧街道を走るのですが、登りの途中で霧雨になりましたが、大雨にはなりませんでした、ただ芦ノ湖湖畔に着いたときは路面がかなり濡れていましたから、山頂付近では降雨は結構あつたんじゃないかな。箱根峠からの下山では景色はあまり良く見えませんでしたが、標高890bからの下り道なので、まあ楽でした。三島スカイウオークで少し休止した後はそのまま三島大社まで行き、参拝した後 市内で宿泊しました。この三島スカイウオークなんですが、何で、こんなところに意味もない橋作って環境破壊しているのかと思ったら、三島は工業都市だったけど、近年は工場の海外進出で勢いが衰え、また観光も箱根に取られて劣勢を強いられていたところ、死の中の勇士たちが三島にも観光名所を作ろうという事で子の施設を作ったとの事。当初は、失敗ではなかったかと言われていたけど、予想外の人手で三島市のかっさ成果に綱がつたとのことでした。最初は一人で始めたそうです。まあ、こういう事も必要だよな。
で山降りて市内に入ると結構雨に降られましたね。湯本三島間は34キロありますね。
新年は宿から、長泉なめり駅まで走りここから御殿場線に乗車。御殿場駅からは競技場まで走り、ここで元旦マラソンに出ました。3キロと2`なのですが、コースが昨年と少し変わり、以前は3キロは2.6キロしかなかったのですが、今年は3.4キロもありました。6位になりました。しかし、ここで3キロの後2`の部を走ったのですが、またしても左足が肉離れしてしまい、かといって小学生が走っている中、おじさんが途中リタイアするわけにもいかず何とかゴールしました。
そのあとは国道138号線を走り籠坂峠を超えて山中湖まで18キロ走りました。峠でも気温は3度あつたから、まあ少し暖かい方でした。15時20分発の高速バスが運よく空席があったので、これに乗車 渋滞はありましたが19時ちょうどに東京駅に到着しました。
毎年、このパターンです。2001年からかな。2月にも泊りで筑波リンリンロードを走りたいと考えています
2017年12月も、31日から恒例の代練習会に行ってきました。県内では京成津田沼から西船まで走り、西船からは東西線、千代田線、小田急線、箱根登山線をつかって12時頃湯本に到着。12時08分から走り始めました。旧街道を走るのですが、登りの途中で霧雨になりましたが、大雨にはなりませんでした、ただ芦ノ湖湖畔に着いたときは路面がかなり濡れていましたから、山頂付近では降雨は結構あつたんじゃないかな。箱根峠からの下山では景色はあまり良く見えませんでしたが、標高890bからの下り道なので、まあ楽でした。三島スカイウオークで少し休止した後はそのまま三島大社まで行き、参拝した後 市内で宿泊しました。この三島スカイウオークなんですが、何で、こんなところに意味もない橋作って環境破壊しているのかと思ったら、三島は工業都市だったけど、近年は工場の海外進出で勢いが衰え、また観光も箱根に取られて劣勢を強いられていたところ、死の中の勇士たちが三島にも観光名所を作ろうという事で子の施設を作ったとの事。当初は、失敗ではなかったかと言われていたけど、予想外の人手で三島市のかっさ成果に綱がつたとのことでした。最初は一人で始めたそうです。まあ、こういう事も必要だよな。
で山降りて市内に入ると結構雨に降られましたね。湯本三島間は34キロありますね。
新年は宿から、長泉なめり駅まで走りここから御殿場線に乗車。御殿場駅からは競技場まで走り、ここで元旦マラソンに出ました。3キロと2`なのですが、コースが昨年と少し変わり、以前は3キロは2.6キロしかなかったのですが、今年は3.4キロもありました。6位になりました。しかし、ここで3キロの後2`の部を走ったのですが、またしても左足が肉離れしてしまい、かといって小学生が走っている中、おじさんが途中リタイアするわけにもいかず何とかゴールしました。
そのあとは国道138号線を走り籠坂峠を超えて山中湖まで18キロ走りました。峠でも気温は3度あつたから、まあ少し暖かい方でした。15時20分発の高速バスが運よく空席があったので、これに乗車 渋滞はありましたが19時ちょうどに東京駅に到着しました。
毎年、このパターンです。2001年からかな。2月にも泊りで筑波リンリンロードを走りたいと考えています
高橋幹也
2017年12月10日 ニューリバー八千代2
自分のレースが終わった後は10マイルの部の応援に向かった。知人
友人に声をかけた。後藤君のゴールの時は写真まで取ったよ。レース
終了後は後藤君と食事をして別れた。この大会をもって2017年の
レースは終了した。心配した肉離れも9キロ過ぎまでなかった。
自分のレースが終わった後は10マイルの部の応援に向かった。知人
友人に声をかけた。後藤君のゴールの時は写真まで取ったよ。レース
終了後は後藤君と食事をして別れた。この大会をもって2017年の
レースは終了した。心配した肉離れも9キロ過ぎまでなかった。
高橋幹也
2017年12月10日 ニューリバー八千代1
この八千代の大会は、もともとは毎年1月に市民向けに開催されていた
「新春マラソン」がベースだ。それが市外の人にも走ってもらおうという事で
規模を拡大したのが今の大会である。、このように市民向けの大会が規模
を拡大したものに「白井梨マラソン」や「市原高滝湖マラソン」がある。この
八千代の大会は、以前は車で行ってたが、昨年より自転車で行くようになっ
た。知人で地元の高橋さんという同姓のランナーが、その方が渋滞もなく良
いと言ったのがきっかけだ。以前は近くに車止められたが、ここ近年は村上
小学校や、何やら、結構遠くに止めさせられるし、まあ、天気も良いし、自転
車で行ったよ。以前は村上橋前からのスタートだったが今は市民会館脇
だ、登坂が1つ減った分、得していることになる。
レースはスタート後にすぐに50位ほどになった。最初は飛ばさなかつたと
言うよりも、ここのところ練習やレースで肉離れしてばかりいたので慎重に
スタートしたのだ。まあ、前はスタートしてから毎回10位以内で走っていたん
だけどね。この大会、かつては10Kの部で32分37秒の自己新記録を出した
こともあり、何度も優勝経験がある大会だ。32分37秒の時は2001年だった
が、防府読売に向けての猛練習の成果がまんべんなく発揮されたレースだ
った。当時の位置づけは防府の前哨戦だつたが、いまでは出身地である八
千代で50代の部で入賞したいという大会だ。さて駅前を過ぎると一度坂道
を下り。再度上る。ここまでは市街地だが、ここからは麦丸の農村地帯だ。3
キロは城橋の上、ここで新川を渡り、米本に来る。禅寺の脇や、ホタルの里
など、かつては、ここで、よく練習したものだ。今回はしばらくは知人の野口
氏と走ってたが、5キロすぎから次第に離され始めた。この野口氏はニッポ
ンランナーズの会員だが、もはや私を乗り越えて50代の入賞常連になって
いる。練習も熱心だし、私も見習わなくてはならない、などと思いながら、新
川のサイクリングロードを走る。順位は50位ほどで変わらず、と7キロを過ぎ
ると順位も固定化して、そのままゴールした。38分11秒。50代の部では5位
入賞、総合では46位だつた。
この八千代の大会は、もともとは毎年1月に市民向けに開催されていた
「新春マラソン」がベースだ。それが市外の人にも走ってもらおうという事で
規模を拡大したのが今の大会である。、このように市民向けの大会が規模
を拡大したものに「白井梨マラソン」や「市原高滝湖マラソン」がある。この
八千代の大会は、以前は車で行ってたが、昨年より自転車で行くようになっ
た。知人で地元の高橋さんという同姓のランナーが、その方が渋滞もなく良
いと言ったのがきっかけだ。以前は近くに車止められたが、ここ近年は村上
小学校や、何やら、結構遠くに止めさせられるし、まあ、天気も良いし、自転
車で行ったよ。以前は村上橋前からのスタートだったが今は市民会館脇
だ、登坂が1つ減った分、得していることになる。
レースはスタート後にすぐに50位ほどになった。最初は飛ばさなかつたと
言うよりも、ここのところ練習やレースで肉離れしてばかりいたので慎重に
スタートしたのだ。まあ、前はスタートしてから毎回10位以内で走っていたん
だけどね。この大会、かつては10Kの部で32分37秒の自己新記録を出した
こともあり、何度も優勝経験がある大会だ。32分37秒の時は2001年だった
が、防府読売に向けての猛練習の成果がまんべんなく発揮されたレースだ
った。当時の位置づけは防府の前哨戦だつたが、いまでは出身地である八
千代で50代の部で入賞したいという大会だ。さて駅前を過ぎると一度坂道
を下り。再度上る。ここまでは市街地だが、ここからは麦丸の農村地帯だ。3
キロは城橋の上、ここで新川を渡り、米本に来る。禅寺の脇や、ホタルの里
など、かつては、ここで、よく練習したものだ。今回はしばらくは知人の野口
氏と走ってたが、5キロすぎから次第に離され始めた。この野口氏はニッポ
ンランナーズの会員だが、もはや私を乗り越えて50代の入賞常連になって
いる。練習も熱心だし、私も見習わなくてはならない、などと思いながら、新
川のサイクリングロードを走る。順位は50位ほどで変わらず、と7キロを過ぎ
ると順位も固定化して、そのままゴールした。38分11秒。50代の部では5位
入賞、総合では46位だつた。