高橋幹也
2016年末合宿+2017年新年大練習会
 まあ、毎年の事だが、年末年始は箱根、三島、御殿場での練習だ。今
年も31日に朝家を出た。検見川駅から京成津田沼までは定期で行って、
そこから千葉街道を西船橋までは走った。かつて工場が船橋にあった時
は冬場は朝練で通った道だ、今となっては昔話だ。もともと1987年に
船橋の不二ロール工機鰍ノ入社してから、まあ最初は帰宅してから走っ
たのだが、それでは時間が持ったいないのと、帰宅してからは練習する
意欲がわかなくなってくるので先輩社員の勧めもあり帰宅ランを始め
た。最初は会社出て少ししてから、上着脱いで走り始めた。当初は帰宅
ランに抵抗あったんだな。最初は完全に変人扱いだった。船橋法典駅近
くの工場からリュックを背負って検見川駅近くの自宅まで走るのだ。た
だ1992年に別大マラソンに出るようになると会社から金一封が出たり
してだいぶ周りの見方も変わってきた。最初は朝は電車で会社に行っ
て、帰宅だけ走った。荷物は最初はリックにいれていたが1990年から
営業から部品倉庫勤務になってからは納品に来る西濃運輸に送ってもら
う事にした。3日位たまってからだ。1回500円だった。往復走るように
なったのは2003年の12月からだ。防府の後からだ。
高橋幹也
筑波リンリンロード練習会 その5
 翌日は朝8時にホテル出た。吉野家で朝食とった後は下館駅までジョ
クして水戸線の電車に乗り下館から川島まで行って、そこから鬼怒川沿
いを走る予定「だった」。鬼怒川のサイクリングロードは2005年の自
転車旅行以来何度も自転車で走っている。守谷から宇都宮まで、一部断
絶区間があるけど、ほぼつながっている。鬼怒川はかつて下総と常陸の
国境の河川なので大変に大きい。関東では利根川、荒川に次ぐ広さだ。
今回はそれで石下か、あるいは水海道まで走るつもり「だった」。鬼怒
川に出ると、以前見た光景だ、自転車旅行していると単調な景色だか
ら、どこがどこだかわからなくなる。「ああ、ここが下館の所だつたの
か・・・」などと思いながら、さっそく鬼怒川を走り始めるとすぐに行
き止まり。そういえば、この区間は途切れていたんだっけな、と、思い
一般道に出る。しばらく走ると鬼怒川に出て再びサイクリングロードを
走る。なかなか景色も良く調子よく走っていると看板が…工事中。鬼怒
川は2015年の台風で堤防が決壊して、そこかしこで工事中なの
か・・・。しばらく一般道を走ると、再度鬼怒川に、しばらくサイクリ
ングロードを走ると、またしても工事中の看板が・・・。いよいよ、嫌
になり、一般道を走るが、なにせサイクリングロードを走る予定だつた
から地図など持っていない。コンビニで地図を立ち読みしながら、なん
とか下妻駅までついた。まあ、34キロ走ったからいいかな、と思い。そ
こから関東鉄道に乗り、帰宅した。
 今回の練習はマアマアだつた。
高橋幹也
 岩瀬の駅から水戸線の電車に乗り下館駅まで行った。下館も今では筑
西市だ。最近は町村合併で地名が変わってしまつた。岩瀬は今は桜川市
だ。下館駅からホテルまでは1キロ。また走る。宿泊先は「プリンスホ
テル高松」。あの西武系の高級ホテルか・・・・と思いきや1泊
2777円の激安ホテルだ。自動ドアは壊れ外は草ボーボー。素泊まり
だからホテル前の幸楽苑でラーメンセット食べで、コンビニでお菓子と
か買い込んで行った。中は、まあこんなもんだろうという感じ。ちなみ
に私は1991年の3月に長野市の「アネックスホテル記念館」という
ビジネスホテルに泊まって以来ビジネスホテルが大好きなんだ。当時は
7000円くらいしていたけど今は5000円あればマアマアなとこだ
るただ私はホテルは基本的には素泊まり3000円台が標準だと考えてい
る。三島も甲府も、ほぼこのレベルだ。まあ一晩寝るだけだから、こん
なもんだろうと思っている。

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g1021223-
d1048896-Reviews-Prince_Hotel_Takamatsu-
Chikusei_Ibaraki_Prefecture_Kanto.html

http://outblue69.hatenablog.com/entry/%E3%83%97%E3%83%
AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%86%E3%
83%AB%E9%AB%98%E6%9D%BE
高橋幹也
筑波リンリンロード練習会 その3
 北条の街を過ぎると筑波山がひときわ大きく見えてくる。そして旧筑
波駅跡に着いた。今は「筑波山口」というバスターミナルになっている
私が1992年に来たときはまだ駅のホーム跡などがあったが、今はホー
ムらしきものを新しく作ってある。1989年に廃止されたが、最後に乗
ればよかったよな。ここで小休止したあとは酒寄、東飯田とひたすら北
上していく。真壁辺りからは周囲は田園地帯、こんなところに鉄道通し
ても「絶対に」儲からないと思った。次第に日が傾き始めるが。岩瀬駅
に着いたときは、かろうじて太陽があった。ガーミンフォアアスリート
の距離表示は42.258キロだったか、鉄道としての正式な距離は40.2キ
ロだ。GPSも意外と正確ではないんだな。
高橋幹也
筑波リンリンロード練習会 その2
 北に向かい、ひたすら走り続けると次第に筑波山が大きくなってく
る。そして小田城跡に着いた。小田城は以前来たときは未整備だつた
が。今では史跡公園として整備されている。小田氏は南朝に着いてから
家運が傾き始め。戦国期には小田原の北条氏の同盟者としてかろうじて
城を維持したが、下妻の多賀谷氏などとの戦いの中でしろを奪われてし
まった。公園を過ぎると北条の駅跡だ。今でこそ筑波山の登山は旧筑波
駅から登るが、これは筑波鉄道が出来てからの話で、それ以前は北条の
街から登った。土浦出てから、最初の街らしい街だ。