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秋篠走友会(掲示板)


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Name 高橋幹也

筑波リンリンロード練習会 その3


 北条の街を過ぎると筑波山がひときわ大きく見えてくる。そして旧筑
波駅跡に着いた。今は「筑波山口」というバスターミナルになっている
私が1992年に来たときはまだ駅のホーム跡などがあったが、今はホー
ムらしきものを新しく作ってある。1989年に廃止されたが、最後に乗
ればよかったよな。ここで小休止したあとは酒寄、東飯田とひたすら北
上していく。真壁辺りからは周囲は田園地帯、こんなところに鉄道通し
ても「絶対に」儲からないと思った。次第に日が傾き始めるが。岩瀬駅
に着いたときは、かろうじて太陽があった。ガーミンフォアアスリート
の距離表示は42.258キロだったか、鉄道としての正式な距離は40.2キ
ロだ。GPSも意外と正確ではないんだな。
 ReDel
Name 高橋幹也

筑波リンリンロード練習会 その2


 北に向かい、ひたすら走り続けると次第に筑波山が大きくなってく
る。そして小田城跡に着いた。小田城は以前来たときは未整備だつた
が。今では史跡公園として整備されている。小田氏は南朝に着いてから
家運が傾き始め。戦国期には小田原の北条氏の同盟者としてかろうじて
城を維持したが、下妻の多賀谷氏などとの戦いの中でしろを奪われてし
まった。公園を過ぎると北条の駅跡だ。今でこそ筑波山の登山は旧筑波
駅から登るが、これは筑波鉄道が出来てからの話で、それ以前は北条の
街から登った。土浦出てから、最初の街らしい街だ。
 ReDel
Name 高橋幹也

2016年12月25日


筑波リンリンロード 練習会
 かつて土浦と岩瀬の間には「筑波鉄道」という鉄道があった。関東鉄
道の子会社だったのだが1987年に廃線になった。その後、会社は社名
を関鉄筑波商事(株)と改めて存続しているが、その線路跡地は「筑波リ
ンリンロード」としてサイクリングロードになつている。かなり以前か
ら、ここを走ってみたいと思っていたが、2007年5月27日に自転車旅
行で初めていった。この時は、岩瀬から、そのまま勝田駅前まで行っ
た。その後、いつか走ろうと思っていた事を実現したものだ。電車を乗
り継ぎ土浦駅に着いたのが10時頃、そのまま荷物を背負って走り始め
た。天気は良好、風もないし前方に筑波山が見えていた。土浦を過ぎる
と最初の駅跡は「新土浦駅」。ホームが残っているが、今はどっかの会
社の一部になつている。ここを過ぎるとかわを渡り対岸に出る、。車庫
跡はホームセンターになっている。ここを過ぎると田園地帯になる。虫
掛の駅を過ぎると、郊外という感じだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E9%89%84%E9%81%93%E7%AD%91%E6%B3%A2%E7%B7%9A
 ReDel
Name 高橋幹也

ニューリバーin八千代 その3


 まあ、そんな思いもあったな・・・、などと思いながら今回もスター
ト地点に向かった。以前は村上橋の袂からスタートしたが、東洋バスの
路線バスが正面から来て、運行に支障がでたというので現在は市民会館
脇からのスタートとなる。坂を1つ得したという感じだ。

 スタート後は前方に若い人たちを30名ほど見ながら走る。1キロ過ぎ
たあたりから徐々に選手がばらけていき、2キロの上り坂ではほぼ位置
も決まった。風もなく、3キロの城橋を渡るとあとは平地。サイクリン
グロードを若い人たちと走ると競技場が見えてくる。そしてゴールし
た。記録は37分02秒。ゴールした若い人から「高橋さんですよ
ね・・・。」と聞かれた。ああ・・、まだ俺の事、知ってる人もいるん
だ・・、と思った。かつてはゴールすると色々な人たちから声かけられ
たものだが、最近はめっきり減ってきた。総合で38位、50代で3位入賞
だつた。記録といい順位といい目標は達成された。ゴール後は高校時代
の友人と食事でもと思ったが不覚にも携帯を忘れてしまい、そのまま帰
宅した。2016年最後のレースはこうしておわった。
 ReDel
Name 高橋幹也

ニューリバーin八千代 その2


 で、その猛練習とは、当時は平日は船橋市の会社から千葉市の自宅までただ14キロジョクして帰るというのが練習だった。それを会社から
16キロジョクしてサンスポ千葉マリンマラソンのスタート地点まで走
り。ここから1キロ10本を毎晩することにした。終わって帰れば合計36
キロになる。ただこれは3日で挫折した。さすがに疲れる。ただ週に3回
はこれを実行して、合わせて土日も30キロペース走を行う事にした。平
日夜の10キロ走は最初は10キロ合計37分かかっていたが最後は33分前
半、日によっては32分台で走れるようになった。30キロペース走も、
約5キロごとの小休止をはさみながら2時間40分かかっていたのが1時間
50分台で行けるようになった。10月の袖ヶ浦海浜ロードではあまり成
果は出ていなかったが11月の勝浦鳴海ロードでは大いに成果が出て仲間
内でも7対3で2時間30分切れそうだと話し合い。そして2001年の八千
代のレースを迎えたのだつた。当日のレースは高校生1人を含む3人で先
頭集団を作り、5キロの折り返し付近から追い風に乗って後続を切り離
し32分37秒の自己記録でゴールしたのだつたるただこの年は競技場の
工事の関係でコースが一部変更になり、野球場がゴールだつた。最後の
1キロは50メートル程度短かった。大いなる期待の者参加したほF読売
マラソンは2時間27分58秒の自己新記録で大勝利したのだった。
 ReDel
Name 高橋幹也

 ニューリバーin八千代 


 2016年12月11日 ニューリバー八千代 
 この大会は、かつては「新春マラソン」という名称で1月に開催さ
れ、八千代市在住 在勤 在学者のみが参加できるというローカルな大
会であった。参加者は1000名程度いたが。一般は50名程度でほとんど
が中学生と小学生であった。私が初めて参加した大会はよくよく考えて
みれば小学校5年の時に参加した、この「新春マラソン」だった。当時
は市役所から坊山のほうに走って行った記憶がある。大雪の日で市役所
裏の急坂で何人も滑っていた記憶がある。その後は高校2年の時にも参
加し1992年まで何回か参加したが、1992年の時に4位になったのだが
当時は八千代市民ではなく、千葉市民であったため、本来は参加資格が
ないにもかかわらず参加し入賞してしまったので以後は参加しなかっ
た。その後にニューリバーin八千代になってからは2001年から再び参
加し始めた大会だ。2001年の時は高橋尚子が世界記録を出したのに感
化されて私も秋口は猛練習をして記録を大幅に更新していた時期であっ
た。あの時はフルマラソンの記録は2時間29分29秒がベストであった。
9月に昭和記念公園で駅伝を走り、10月は観光を兼ねて別海でフルを走
り、10月の袖ヶ浦海浜ロード、11月の勝浦鳴海ロードを走り、防府で
フルマラソンを走り2時間30分を切る「計画」であった。しかし、自分
でもあの程度の練習では2時間30分は切れないことはわかっていた。ま
あ2時間30分は3回切ったし、びわ湖毎日マラソンも走れたし、東京国
際マラソンも99年から3回走ったからいいや・・・・なんて思ってい
た。しかし高橋尚子は2時間20分を切って世界記録を打ち立てたので
あった。まあ、彼女がどんな練習したのかは想像がつく、それに対して
俺は大した練習もしていないのに自分に妥協してしまっている、いや妥
協なんてきれいごとではない、自分にまけているのだ、これに気が付い
て猛練習計画を立てたのであった。
 ReDel
Name 高橋幹也

勝浦鳴海ロードレース その3


 ゴール後は畑中氏に会い少し距離についての話をした、主催者の方と
も話しをしたが、海岸沿いの国道は警察の許可が出にくくなっており今
後も当分このコースが続くとのことだった。表彰式を済ませると帰宅す
る。昨年までは帰路はいろいろ寄ったが今年はそのまま外房線で帰っ
た。
2015年 誕生寺に寄った。
2014年 御宿まで路線バス
2013年 大多喜の東総元まで路線バス、そこからいすみ鉄道、小湊鉄道
2012年 上に同じ 

1981年からの連続出場を続けているこの大会も無事に終わったよ。
 ReDel
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