28 無名さん
夢見がちな子供だった。流れ星に祈れば願い事が叶って、四葉のクローバーを見つければ幸せが訪れる。一点の曇りも疑いもなくそう信じて、母が読み聞かせてくれるお伽噺の数々に目を輝かせる、盲目的な子供だった。男のくせにとからかわれれば友達を作る気にもなれず、家で一人空想に耽ることが多かったから、肌は不健康に青白く、母の美味しい手作りお菓子を沢山ぱくついて、身体はぽっちゃり丸かった。そんな日々は、小学六年生の冬、サンタクロースの正体を思いがけず知ってしまったことで終わりを迎える。今まで信じていた世界が呆気無く崩れ去る衝撃はとてつもなく大きく、空想の世界で一人遊びしていた少年は、そこでようやく外の世界に興味を抱いたのだった。転機を経て、現在。幼少期に人と関わりを持たなかった弊害か、取り繕うことを知らない馬鹿正直な発言や他者の迷惑を顧みない無鉄砲な行動が目に付くものの、頭の中にお花畑が広がっているようなおめでたい思考回路や自由奔放な振る舞いも含めて個性として受け入れてくれる友人も出来、社交性はそれなりに向上。背ばかり伸びた大きな子供は失敗も多いけれど、暢気に笑ってへこたれず、のんびり気楽に大小様々なチャレンジを楽しんでいるようだ。中学時代に取り組んだダイエットもその一環で、無事標準的な体重となった今では、頬の輪郭にほんのり丸みを残すのみ。太りやすい体質の為、リバウンド防止を兼ねて運動部への入部を検討し幾つかの部活動を体験したが、長躯を活かせない宝の持ち腐れっぷりと見事な運動音痴を晒し、最終的に野外活動部へと落ち着いた。放課後の缶蹴りや休日の登山など、外を駆け回っているおかげで青白かった肌は健康的な色合いになり、雀の涙程だった体力も大分改善されていることが体育の長距離走により判明している。成績はほとんどの科目がどん底。入学出来たのは奇跡だったのではないかというレベルで、特に国語が壊滅的。放送委員としてマイクを握った日には、語彙の乏しい幼稚な放送が響き渡るだろう。男子高校生らしからぬ妙に可愛らしい柄の絆創膏や弁当袋を持ち歩いていることがあるが、その大半は母や妹からの贈り物。母の趣味で飾り立てられたメルヘンチックな家で暮らしている影響か抵抗感はなく、むしろ好ましいと思っているので、時には自分で購入することもあるらしい。野中泰生はかつて、夢見がちな子供だった。今は違うのかと問われれば、実はそうでもない。あの日枕元にプレゼントを置いてくれたのはサンタクロースではなかったけれど、どこかの国の空をソリで駆けているかもしれないと性懲りもなく信じているし、お伽噺のような幸福だって信じている。楽天的で、夢想家で、何でも素敵な方に考える質なのだ。故に統合についてもドラマチックな経験が出来ると喜んで、実感と共にやって来るだろう寂しさだって心待ちにしている。もしかすると修林の校舎からお別れの言葉が聞こえてきたりするかもしれないと、非現実的な空想すら描いている。野中泰生はかつて、夢見がちな子供だった。今も夢見ている。流れ星はゴミ屑で、四葉のクローバーが幸運だけで出来ているのではないと知らなかった頃のままで、今もいる。