3 天地の差が
あると思うんだよなあ・・・、

ただ何かに愚痴や批判を吐くだけと、
積極的に攻撃的や排他的な行動を取ろうとすることは。
少なくとも「ひとところで」分かっている場所での愚痴や批判は、「見なければ害は無い」のだけは事実だから。「わざわざ見る」人間にも確実に自己責任はある。

但し、誰が来るかもわからない不特定多数が存在する場所での特定に対するそれはどう考えても好ましいはずがないし、
ましてや「わざわざ気に入らない人間のいる場所に喧嘩や挑発を売りに行く」のは幼稚かつ人権侵害にも相当する、身勝手かつ卑劣な行動であると言える。

それらを「悪い」と思わなかったり正当的に考えてる奴らの思考回路を知りたいし、正直そんなお花畑な脳味噌が心底羨ましい。
どれだけ自分様と持ち上げられた人生を送れば、そこまで自分様何をしてもマンセーな思考になるのだろうか、「興味深い」事ではある。

いずれにしろ、その「天地の差」がついた時点で、既にいろいろな意味で決着は付いているんだよね。
ナイフを他人に突き刺した人間のそれが如何な主張をもっともらしくしようとも、所詮そいつは「気に入らない相手がいたら刺す」程度の人間だと認識される。残念でしたという奴だ。

同類で絆を作り互いを肯定擁護し合おうと、結局はぬるま湯の馴れ合いでしかない。そりゃ仲良しグループは相手を不快にする苦言は致しますまい。
それって相手のためにならないんだけどな、多分どーでもいいからなのか、「同じ穴の〜」だから苦言に値する価値観の違いすら無い集まりなのか。
同じ価値観でしか馴れ合えず互いを慰め合うだけの人間に成長はない。まだ、独りで思考や分析をしていた方が、成長しやすい。

成長とか、(ちょっと違うが)共依存とか、懐かしいなあ・・・当時のヤツも今の俺みたいな感じがしたな。もっともヤツはかなり独善的で自分様な所も少なくなかったが・・・何だかんだで普通に生きているんだろな。
(P702i/FOMA)