22 無名さん
(迅雷の伴う電光に身を貫かれる一瞬、鼓膜を叩いたのは龍神たる父の声であった。駭然とも呆れとも、愁思とも取れぬ音へ寄越したのは親の心知らぬ十足な笑声。靦然への返答こそ聞こえはしなかったものの、瞼の裏に残る青年の涙を堪える笑顔ひとつあれば肢体を走る痛苦に対する恐れ等無く、刹那の内に焼かれる視界に次ぎ意識は其処で途切れ、そうして崩れ行く四肢と共に二度と頭を擡げる事は無いだろうと無自覚にも理解した。――その筈、だった。暗転、其れは己にとっては文字通り瞬きの出来事に他ならず。浮上したと言う意識もなく真っ先に拾うは頬を突く硬質な感触で。無意識に睫毛が震え、億劫な程重い瞼を持ち上げるなら、一番に双眸に注ぎ込むのは己が一等好いた翠緑に遠く及ばぬまでも夏日を浴びて茂る清新な青葉の天井。聴覚を撫でる柔らかい囀り、嗅覚を擽る満ちた深緑の香、次々に五感が機能を働かせる最中、呆然と見上げる視界の端にて映り込む小鳥のかんばせに漸く起床を促す正体を認知しては暢気に朝の挨拶を交わそうと口を開ける。が、喉から零れるのは耳障りの悪い掠れた声音ばかり。――黄泉、か。緩慢に左右に振らせた頭部で周囲を見渡し何時か彼の家屋でも脳裏を過った所感を思考に泳がせながら酷く遅々とした動作で上半身を起こした所でようやっと自らが人の器で在る事を知り、薄地色の単衣を纏う体を見下ろして感慨の無い吐息を漏らしてしまう。彼がいなければ人形である意味などないのだ、と、暗に影を落とす両の目が俯く前に大地に付いた手のひらに力を込めて起立を試みるのだが、唐突な挙動に頭が追い付かず視界がぶれてしまい二、三歩傾倒を逃れる為に進めた歩みも、意図せず助けを求めるように草木に伸ばした隻手も虚しく再び地に倒れ伏し、樹葉の隙間から零れる空を仰ぐ羽目になる。只中、耳を突いた人の声は幻聴か、恋しい男の悲鳴に似て鼓膜を揺さぶったものだから思わず自嘲が口唇を濡らし、二度と会い見えない存在を想起して眼窩が熱を持つ。会いたい等と、身勝手に零れそうな感情を隠すべく持ち上げる腕で目元を覆ったその時確かに響いた駭然の奏でに瞠目して。恐る恐る拓けた視界が見上げるのは己の胸中を占める見紛う訳も無い翡翠を湛える想い人の面貌であり、随分と長い沈黙を敷いたのち眩しい男の眼の玉に目を細めつつ小さく笑い声を漏らした)……は、…はは。天女様にしては粋な……――いや、酷な事をしてくれる。(冥途の土産には些か過ぎる程に胸を軋ませる姿が夢か現か、未だ判別の付かない思惟を放棄する躰は然し無自覚に彼を求め、動き出す。脳を揺らす不調も最早気に留める代物に非ず、誘われるかの如く上体を持ち上げ宙を翻す指先がまっすぐに相手の頬に伸び彼と同じ形を成す目の前の男が拒絶を表さねば其の焦がれた熱を掌に捉え、木漏れ日を浴びて輝く胡桃の頭髪で指先を擽りながら夢心地に震える声音で苦言染みた所感を放つだろう)