らんの天気部屋@仮
過去ログ77
2016/10/25 12:13
▼板橋降格優勝はG
最後の戦は一勝一敗
鉄は歩乱戦に弱いね
弓は天候と特技
つまり鉄弓歩は互角でした
10/25 12:13
▼中板橋9冬2晴れやがった
H迎撃は晴れ晴れ
あれよね天気次第だから、恐れちゃ駄目
10/24 23:16
▼中板橋9冬Hメタボ
夏に禅堕ちしてしまった
侵攻で援軍送れていたら違った
すまぬ
迎撃は夏に鍛練100 秋に150だったので予想以上に兵消耗が激しいHだった
10/24 16:45
▼転載@山形新聞3規約を読んでみた
抜粋
第6条 (役員) 本会は次の役員をおく。
会長 1名
副会長 若干名
理事 若干名
監事 3名
第7条 (役員の選出) 会長・副会長は理事の互選とし総会の承認を得る。監事は総会において選出する。理事は会長が委嘱する
ダメだなこれ
10/23 17:52
▼転載@山形新聞2慶次の会の会員
なにこれ 入会したい
10/23 17:50
▼転載@山形新聞慶次の?生活遺物出土・米沢 第2次発掘調査、無苦庵跡から箸や土堝
2016年10月22日 20:54
発見された井戸跡を説明する米沢市教育委員会の担当者(右)=同市万世町堂森
発見された井戸跡を説明する米沢市教育委員会の担当者(右)=同市万世町堂森
戦国武将・前田慶次の屋敷跡とされる米沢市万世町堂森の「無苦庵(むくあん)跡」で15日から行われていた第2次発掘調査で、井戸跡や箸、土堝(なべ)片などが見つかった。慶次が過ごした江戸初期前後の地層から出土しており、実施した米澤前田慶次の会は22日、現地で説明会を開き、慶次の生活をうかがわせる遺物と強調。今後も屋敷の全体像把握に向けて調査を続ける考えを示した。
井戸跡は地表から30〜40センチ下の地層で確認。深さ74センチで現在も水が湧き出ている。内部からは枝を刃物で切って作った箸と、豆類をさやから出す際に使う長さ90センチほどの「たたき棒」も見つかった。ごみ捨て場とみられる穴からは土堝片に加え、火鉢の役割の手焙(てあぶり)片も発見され、慶次の会の梅津幸保会長は「慶次の生活のにおいのするものばかり。大きな成果だ」と話した。
ほかに直径約35センチの柱穴や井戸跡の脇の溝、ひづめ跡も確認された。調査を指導した市教育委員会文化課の手塚孝主任は「調査地点はうまやか庫裏(台所)の一部とみられる。成果を次回以降の母屋確認につなげたい」とした。
昨秋の1次調査では江戸初期の柱穴群などが発見され、慶次の屋敷跡の可能性が高まった。今回は敷地中央部分の63平方メートルを調べた。23日午前8時半〜正午まで一般に公開し、慶次の会の会員らが説明する。
10/23 17:50