みつみつみつ掲示板

過去ログ228 2009/8/18 18:10

▼ようこ
続き。
まだ、具体的に実現可能かどうかは別の話として、自宅外泊できる機会があったときに酸素ボンベを病院から貸していただくことになるのですが、その時どのようにして車いすにとりつけるのか、ということが気になっていて今朝からベリーウエルの岡田さんにご相談しました。
岡田さんからは、病院でどのような大きさのボンベを貸し出してくれる予定なのか聞いてほしいといわれていたので、今日看護師さんに朝から問い合わせをしていました。
なかなか、適格な返答がなかったのですが、午後からちょうど酸素ボンベの業者さんとお目にかかることが出来て、携帯用ボンベの現物をみせていただきました。
大が消火器位の大きさ、小がウイスキーのボトルくらいの大きさで、小で9時間とおっしゃたと思います。
残量もわかるようになっていて、扱いはそう大変ではなさそうでした。
そして、ボンベを入れるリュックのようなカバンも一緒に貸し出してくれるので、それを今の車いすの両ハンドルにひっかけて動かせるそうです。
ですから、特別な形の車いすにレンタルしなおす必要はないそうです。
これで、一安心しました。

ただ、外泊はやはりお母さん一人ではとても無理ですので、皆で相談の上、慎重に考えてから実行することに致しましょう。
この間は、救急で運よく堺病院へ運ばれましたが、何か突発的なことが起こる可能性も充分あるので、よほどの覚悟で臨まないといけないと思います。

明日はえりこさんが病院に来てくださるので、又お母さんには病院を休んでいただきます。

木曜は、行きは私がお送りできるかと思いますが、午後は予定があるので、病室に少し顔を出す程度でその日は失礼しないといけません。

お母さんにあまり、お疲れがたまらないように気を配っていこうとは思っています。
今日は以上です。

又、電話の必要があれば、メールで連絡してくださいね。
2009/8/18(火)18:10

▼ようこ
今日は朝11時30分過ぎに病院に着きました。昨日お母さんが一日病院をお休みしておられるので、今日は私が車を入れる間、お母さんにロビーで待っていただいて、一緒に病室へ上がりました。

今日は割合御気分が良さそうな感じで、お母さんにも笑顔で接しておられました。

お昼のお食事が始まって間もなく、腰のレントゲンの順番がきてしまい、一時食事中断でレントゲンに行かれました。

ただ、レントゲンで中断したおかげで、ベッドから車いすに移ったので、後半のお食事は車いすに座って召し上がることになり、この方が食べるのには具合は良い結果となりました。

腰のレントゲンは、お父さんが腰の痛みを訴えておられたために撮ってくださったようです。
結果はまだ聞いていません。

お食事は、お母さんが随分介助しておられましたが、ご自分でも割合積極的に食べておられて、8割方召し上がりました。

食後は例によってすぐトイレで、トイレでパジャマが汚れたのと、上着の背中にどうしたわけかカギザギのような破れができていたので、全部の着替えを看護師さんがしてくださいました。

食後、お父さんが落ち着かれたので、私たちはしばらく談話室でお食事タイムにさせていただきました。

2時過ぎに私が売店に紙おむつを買いに行っている間に、神経内科のまつお先生が様子を見にきてくださり、足の動きやお父さんの様子全般を見て下さったそうです。
又、A先生が休暇が終わられたら、今後のリハビリなども相談します、とおっしゃて下さったそうです。
お父さんが、まつお先生のご質問の今日の日にちがとっさに出てこなかったので、お母さんは今度大きな文字のカレンダーを持参しようと思う、とおっしゃていました。

そのあと、丁度FMラジオでクラシック音楽が流れていたので、イヤホンで聴いておられました。

今日は「メガネやイヤホンをハサミで(自分のつかいやすいように?)切りた
い」と言う事を何度かおっしゃり、その度にそれはできない、と説明してやめていただきました。
2009/8/18(火)18:10

▼えりこ
お盆の間、いろいろお世話になりました。

このところ、かもじいの言動でいろいろ困った状況ではありますが、ちょっとかもじいの気持ちになって考えてみました。

自分の肝臓や肺の状況についてはどこまで理解しているのでしょうか。
ネクサバールを中止したということはわかっていると思うけど、その副作用がなくなるために自覚症状としては少し改善するかもということだったし、肝ガンのことはあまり意識してなかったりするのかしら。肺に転移したガンについては咳が出たり先日のように喀血したりがあるので反対に意識しているのかもしれないですが。熱も下がったようだし、倦怠感はあるかもしれないけどさほど苦痛はなさそうですよね。

足のふらつきや大小の下の自立ができないことが一番の不安で不快なのかもしれないですね。

ばあちゃんの体調が思わしくなく気力体力ともにかもじいの自宅での介護に耐えられないということは冷静になれたときには理解できるのかもしれないけど、では自分は一体いつまでこの病院のベッドで寝ていないといけないのか、もしかしたらもう最後までここで寝ておけということなのか、という不安やあせりは当然あると思えてきました。

療養型の病院を手配してもらっていることをいつまでも伏せておくのは返ってかもじいの不安や苛立ちを大きくすることにならないでしょうか。

自宅に帰れないのはばあちゃんの拒否のせいと思い込んでいることについては、何度話しても感情的にそういう気持ちになってしまいそうな気がします。いっそのこと、ばあちゃんがダウンしてしまったと言って2日ほど行かせないぐらいしてみてもいいかなと思ったりかわいそうかなと思ったりしてます。

これから快方にむかうことが望めないのだとすれば、少しでも早い段階でせめて1泊でもいいから自宅に外泊させてあげたほうがいいのかなと思ったりもします。私がなんとか都合つけて対応するしかないのでしょうか。
けど、それによって病院に帰りたくないと言い出すとかえって困るしねえ。
2009/8/16(日)23:57

▼なお
本日は11時にお袋を拾い、ベルに向かいました。昨日来の件も気にかかっているため、親父にはっきりと伝えないといけないと考え、一緒に行くことにしました。
顔を見た開口一番、「お母さんに負けた」との発言、どういう意味かと聞くと、案の定、自分の思うようにならないいらだちをぶつけた表現の表れでした。
A医師との医師と患者と言う関係は終わったということや、退院が出来ないのは医者の意志ではなく我々の意志であるということなどを説明しました。
つまり、喀血などの急変に対応できないことと介護のためには健常者が必要であり、今のお袋の状態(心体ともに)では対応できないため、現状では帰宅できないと伝えました。
また、お袋を責めたり感情のはけ口にすることも、やるべきではないと伝えました。
まだ転院が必要なことや探している最中であることは伝えていませんが、決まれば我々の口からきちんと伝えるべきであると考えます。
相変わらず、簀巻きにして放り出せとか心臓が止まってほしいとかどうしようもないことを口にしますが、どうしようもないことを言うなと叱っておきました。
お袋も毎日は来れないから、1日置き程度になると伝えて病院を後にしました。
その後、お袋と食事をしながらいろいろ話しましたが、自身が強くなるしかないことを、話題や方向を変えながら何度も言い聞かせました。
もし私の不在中に転院が決まる場合には、まさ殿の口から伝えていただければと考えます。よろしくお願いします。
2009/8/16(日)19:20

▼なお
昨日はお疲れ様でした。

最近の親父はこのような状態が続いています。B病院としては治療が終了している状況のため本来であれば退院を要求されるはずですが、前回退院時のお袋の状況を理解してもらって、療養型病院を探している状況です。
A先生がどのように親父に話しているかはわかりませんが、「帰宅に備えての処置」として伝えたのであれば、B病院としてこれ以上できることはないという意思表示であると考えます。A先生からも外泊を提案されていますが、例え1日2日であってもお袋一人では対応ができないため、我々の誰かが付き添う必要があります。
親父には不本意で辛いかもしれませんが、前回の状況から考えて、今の状態での帰宅は、お袋の健康状態が限界の状況であり、お袋にとっても我々にとってもすぐに対応できるものではありません。
すぐに自暴自棄になり、お袋を責めるため、今はまだ親父には伝えられませんが、転院先や時期がはっきりした段階で、我々からきちんと伝えるべきであると考えています。

この方法しかない事はお袋とも話し合い、理解していると考えますが、やはり少し揺れているようです。我々が意思を統一し、双方のケアを行う必要があると考えます。
2009/8/15(土)7:12

229227

掲示板に戻る