みつみつみつ掲示板

過去ログ233 2009/8/27 9:29

▼えりこ
続きです。

お迎えは4時半バス停だったので、ちょっと早めに出ました。玄関での車椅子への乗り込みは、帰宅時の降りるときより格段に足の動きがよくてスムーズにいきました。
バス停では不安なら坂の上にいてくれたらいいと言ってくれていたんだけど、慣れた叔母が横にいてくれたので後ろ向きにゆっくり車椅子を下ろして下まで行けました。
ばあちゃんはここで介護タクシーのIさんにお礼を言いかもじいと握手して別れました。かもじいもすんなりと帰る気持ちになってくれたので助かりました。

病院に5時前に到着。着替えてベッドへ。
すぐに検温に来てくれて測ると37度4分あり、頭は熱っぽくないんだけど一応氷枕をもらいました。血圧は114/62で問題なし。もしかしたら興奮したのかも。それか、ちょっと肌寒いと言って家で長袖に着替えたりしたので、風邪っぽいのか?それが少し気になります。
終日とても精神的に安定していて、受け答えもよかったし、へんなことも一切話しませんでした。

叔母もまたいつでもこうやって協力するからと言ってくれていますし、私も今回のような条件がそろえば、また来週でも外出の介助はしてあげられるかなと感じました。

酸素ボンベは今日は明日にでもT社のMさんが病院に出向いてまた補充しておきますからと言ってくれています。また外出する計画になったらナース経由でいつでも来てくださるそうです。

選挙の投票も入院患者は申請すれば院内で出来るらしく、一応かもじいの投票券は引き出しに入れてあります。

6時前のバスで叔母と二人帰りました。

帰りになってわかったことですが、介護タクシーは患者以外二人まで同乗できるそうです。ケアマネさんが確認不足だったと謝っておられたようです。なので、次回があるとするとタクシーの追走は不要です。
料金は片道2800円ぐらいでした。
2009/8/27(木)9:29

▼えりこ
10時45分泉が丘発のベルのバスで叔母と偶然合流できて、一緒に11時ごろ病室に到着しました。
かもじいはすでに着替えて帽子をかぶり車椅子に座ってお待ちかね。リハビリのOさんがにこにこと横に付き添ってくださっており、かもじいの機嫌もよく、酸素も着けるし夕方には戻ると納得していたので決行となりました。
出発までの間に酸素ボンベの扱い方をT社のMさんが説明に来てくださって、手順を教えてもらいました。車椅子の背中に引っ掛けられる専用のバッグに入れてセットし、抵抗なく装着してくれました。

お迎えの介護タクシーは車椅子ごと乗れるタイプだったので昇降はお任せできるしかもじいもとても楽ちんそうでした。車内も天井が高く、快適でした。ケアマネさんから同乗は一人までと聞いていたのでS叔母はタクシーで追走してもらいかもたにに向かいました。運転手さんも同年代の気さくないい方でした。バス停で下ろしてもらいそこからは私が車椅子を押して帰りました。

工事の足場や覆いですっかり様子の変わった我が家の外観にかもじいも「はぁ〜」と声をあげておりました。ばあちゃんが玄関先まで出てきており、家の前で抱きついて喜んでいました。
車椅子で玄関までは問題なく入り込めましたが、玄関で立ち上がって靴を脱いで家に入り車椅子を玄関先に出す、という作業がスペース的に結構大変で、これは絶対に2人以上は必要です。家の廊下はレンタルしてあった歩行器を使ってばあちゃんが先導してリビングに向かいました。最初は足元がおぼつかなくて大変でしたが、これは夕方にはかなり改善していたので、やはり気持ちの張りがかなり影響するようですね。
リビングの椅子に落ち着くと、かもじいは「うれしい。ホントにありがとう」と顔をくしゃくしゃにして泣きました。

昼食はかもじいの希望で親子ドンブリを注文してあったので、熱々で届き次第すぐに食事となりました。叔母の持ってきたピクルスやばあちゃんの用意していた漬物類も含めてお箸とスプーンで自分で積極的に食べていたし、話好きな叔母と女3人ですっかり盛り上がり、叔父のことや叔母のお孫さんたちの話など、かもじいも結構一緒に会話に入って発言もしておりました。

トイレは移動する距離が長いからと叔母がポータブルをリビングまで運んできてくれ(結構パワフルでしょ)、中庭の横で3人がかりで介助して済ませました。やはりこれが一番大変ですね。ばあちゃん一人ではもう到底無理です。二人付いてやっとぐらいです。かもじいもそれは感じたと思います。
トイレの後は写真を撮ったりそれをすぐにテレビで見てみたりして楽しみ、デザートの果物も積極的に食べており、ここ最近では考えられないぐらい元通りに近い様子でした。
一度おしゃべりの途中でうとうとと眠そうにしていたけれど、声をかけて眠らないようにして横にもならないまま過ごしました。
めがねを替えたいし持って帰りたい道具もあるからというので書斎に連れて行ったのですが、めがねはいいとして、ナイフやはさみも持っていくというのは上手く言いくるめて拒否しておきました。
(病院に入るところに金属探知機があってブザーが鳴ってどうせとりあげられるから、必要なときにはナースに頼んで借りたらいいよ、と)これはあっさりと納得してくれました。
2009/8/27(木)9:28

▼えりこ
ミッション コンプリート!特に問題もなく過ごせましたよ。

今帰りの電車です。

また夜に詳しく報告しますね。
2009/8/26(水)19:36

▼えりこ
ようこさん、詳しく書いてもらってよくわかりました。どうもありがとう。

あとで母にも電話して声を聞いたのですが、日に日に記憶が怪しくなってくるかもじいにかなり落胆している様子でした。
昔のことは比較的ちゃんと話が出来るので、きっと短期記憶の引き出しがもううまく開けられないのでしょうね。メモを読み返すことさえ出来ないとは、今後の対応にも工夫が必要ですね。
明日もようこさんは病院までばあちゃんを送り届けてくださるそうで、連日で申し訳ないです。でも、あさってへのアプローチとして、やはり明日ばあちゃんからかもじいには「せつこさんとえりこが来る」ということやプランについてダメ元で伝えておいてもらいたいですからね。

あとは、当日叔母と私でかもじいの体調や目つき、反応などを見て決めたいと思います。

一応介護タクシーに12時に病院に迎えに来てもらい、帰りは16時半にバス停まで迎えにきてもらうことになっています。
万が一、計画は断念したほうがよさそうならば、すぐに介護タクシーのあいあいさんとケアマネさんには連絡してお断りするつもりです。

叔母にも明日のうちに今の状況を具体的に伝えて心の準備をしておいてもらおうかと思っています。ただ、叔母自身同居のお姑さんが認知症になられた経験があるので私よりも対応は慣れてくれているかもしれませんので、そこは少し安心しています。ショックはショックでしょうけどもね。

かもじいはA先生のことまで悪く言うそうでばあちゃんはそのことにも心を痛めているようです。先生のほうは数多く患者を診てこられているので、病がそうさせていることもご理解くださるとは思いますが、やはり申し訳ない気持ちや情けない気持ちは否めないです。けれどそういうかもじいの気持ちがB病院への執着は軽くしているかもしれないですね。

あとは、B病院の次になぜ自宅でなくてH病院なのか、ということだけど、よろこんで同意してくれることはまず無理だろうし、渋々でもごねずに暴れずにおとなしく転院させてもらってくれるための納得材料の一つにあさっての一時外出が成ってくれたらいいなぁと思っております。難しいだろうけどね。
2009/8/25(火)0:47

▼ようこ
追加です。
H病院でも、外出外泊は自由にできます。
ただ、こんな事はないですが、あまりに外泊が多いと何のためにH病院にお世話になっているのか、ということになるのであまりに多すぎる外泊は控えてほしい、と言われました。

病院案内、バスの時刻表などは枚方、大津分ももらってきてあります。
パンフレットにはリハビリのページがありましたが、これは現在の制度では出来ないそうです。
ですから、お元気な間は家族が面会に行った折にできるだけベッドから起きていただくようにすることでカバーするしかないですね。
面会は原則1時から7時だそうです。
面会時間は厳密ではないようですが、今お母さんがされているような毎日昼食介助をする、というのは通常はあまりないようでした。
差し入れも自由だし、家族が病室で飲食をするのも自由だそうですが、生ものを病室に置いて帰らないことと、ゴミを持ち帰ってほしい(生ゴミ)とのことでした。
夜も、9時の消灯までには帰ってほしいとのことでした。
2009/8/24(月)20:59

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