多分うちは『普通』ではなかったのだと思う
時々、『普通』のことを『当たり前』のものとして話されると苛立つことがある
解るよね?解らないの?みたいな態度に腹が立つ
今更こんなことを言ったって
もうどうしようもないけれど
お父さんたちは自分の身を守るために
『厄介なこと』には首を突っ込まなかったのかもしれない
それはある意味では正しいのかもしれないけれど
私はそういうのが悲しくて寂しかった
私が叩かれている時、
お父さんや妹は私に対して何か思っていたのだろうか

お母さんと、叩かれている私だけが
その空間から切り離されているみたいだった
家族と同じ場所にいても私は違う場所にいるみたいで
お父さんや妹のいる世界を眺めているような感覚になった
私って何だったのだろう
お母さんは時々とても怖くなって
私のことをひどく叩いたりしたけれど
でもやさしい時はとてもやさしかった
お母さん以外の人が私に危害を与えることを許さなかった
守ってくれた
お母さんはそういうおじさんたちから私を守ってくれた
私を守ってくれたのは、本当に、お母さんだけだった
それ以外の人は、家族であっても血縁者であっても、みんな薄情だった
お父さんのきょうだい、親戚たちから詰られていた時だって
お父さんは一度も私を庇ってはくれなかった
おじさんたちに私が泣かされても何も言わなかったし
いたたまれなくて外に飛び出しても
追いかけて来てはくれなかった
私がお母さんから叱られたり叩かれたりしている時に
お父さんが助けてくれることは無かった
私はお母さんからそうされている時、本当にひとりなんだなと思っていた
家族の誰も私を助けてはくれないし
事の後になぐさめてくれることもなくて
なんだかみんなつめたいなと感じていた
私の家族は薄情な人たちだと思う
『お母さん』から大事にされる、愛でられる存在であることが
うちではとても重要だったと思う
それがいちばん安全で確かなポジションだったと思う

たとえばお母さんから捲し立てられている時のお父さんには
威厳なんてものは少しも見出だせなかった
お父さんが可哀相に思えて
夫婦喧嘩(的なものだったはず)を何度か止めようとしたことがあったけれど
お母さんが口出しするなと怒るのでしなくなっていった
しつこくすると私が被害に遭ったりもするし、

お母さんとお父さんが喧嘩を始めると、いつもとても嫌な気持ちになっていた
二人が喧嘩をしていること自体が嫌だったのもあるし
怒鳴り声を聞くのも嫌だった
いちばん嫌だったのはお母さんが不機嫌になることで
その後に火の粉が飛んでくるのが、本当に、とても嫌だった

ある程度大きくなってからは、
お母さんを不機嫌にさせる人を嫌悪するようになった
お母さんに口答えしたり反論している姿を見る度に思った
もういいでしょ、とにかくお母さんに謝れ、とか
これ以上お母さんを怒らせるな、と思っていた
お母さんの大きな声が聞こえてくると、一気にうんざりして気が滅入った