通院をやめている間に自立支援の期限が切れていた。
更新ではないからまた診断書が必要になるのかな。
診断書ってどうしてあんなにお金がかかるんだろう。

もう薬は飲まない(飲むべきじゃない)と思ってたけど
なんだかもういいや、って感じが今はある。
今日薬を処方してもらって。正直安心した。

彼の両親は私に通院歴があることを知らない。
知られたらひかれそうで話してない。
わざわざ話すことでもないし、という思いと、こういうことを隠してるのはいけないことかもという罪悪感のようなものがある。

彼とは今後どうなるか分からない。
春頃に私は引っ越す予定で、彼には実家に帰ってもらうつもり。
別れようと話したら彼は嫌だと言った。
彼の仕事や収入やその他のことが安定したら、私を迎えにくる、のだそう。
いつになるか分からないし、私の気持ちもどうなるか分からない。
彼の気持ちだってどうなるか分からない。
でも今日はアモキサンを処方してくれた。
ここ数ヶ月、3〜4時間しか眠れず、食欲が落ちて体重も減ってきてて、働くのがきつかった。
なので色々と持ち上げるために処方してくれたのだと思う。
でもきっと一時的な処方で、また多分中止になると思う。

いくつか抗鬱剤等も飲んだけど、アモキサン中止のあたりから先生はデパケンRを処方するようになった。
先生曰く、私にはこれが合ってるらしい。
今回もまた処方された。
デパケンは錠剤が大きいので、他のものとまとめると少し飲みづらい。
デパケンは効いてるのかどうか自分ではよく分からない。
とくにこれといった実感が無いから。
診察室では私はいつも同じような感じで先生と話してるつもりだけど、実際はその時々によって違うのかな。
私の気付いていない私の変化に先生は気付くのかもしれない。
そういう専門の職業なわけだし、やっぱり色々と分かったりするのかしら
もう薬を飲むのは嫌。
でも薬を飲まないとつらい。
それの繰り返し。

これまでの診断名は先生によって違う。
今通ってる病院の先生は「躁鬱の気がありますね」と言う。
私は三環系の薬を飲むとわりと調子が良 くなる。
中でもアモキサンは絶好調みたいな感じになる。
意欲が湧くし行動力が出るし活発になる。
それは私としては嬉しくて、有難い効果だったのだけど、しばらく経って処方が中止になった。
躁転するから駄目とのことだった。
気分や体調の波があって、自分で自分を上手くコントロール出来ないところがある。
私の場合、活動的な時と落ち込む時の差が結構ある。
その波に周期のようなものがあることに、最近になってなんとなく気付いた。
良くなると通院をやめて、悪くなるとまた通院する。
こんなことを断続的に10年以上やってる。
2012年の11月から通院をやめてた。
毎日薬を飲むのが嫌になったのと、結婚の話が出てたから。
もし結婚して妊娠するとなったら。
胎児に影響の出る薬なんて飲みたくないし、その前からやめておいたほうが良いと思って。

通院をやめて勝手に断薬したあとはかなりつらかった。
服薬中から常用量離脱を起こしたりしてたけど、それについては他の薬でどうにか対処してた。
そういうものも含めてすべて一気に断薬して。散々な思いをした。

結局は完全にやめることは出来なくて、きつい時は、頓服で貰ってたものや飲み忘れ等で残ってたものを飲んで過ごした。
いざという時のために頓服は多めに貰ってたから、手元にはだいぶ残ってた。
去年は仕事の時だけそれを飲むようにした。
数種類あったものがどんどん無くなっていって、先日、最後の薬も飲んでしまった。

それからつらくて。結局、今日また病院に行った。
私は薬を毎日飲む生活が嫌で、その気持ちが強くなると、通院をやめてしまう。
薬を飲むのが嫌になるのは、ある程度調子が良くなってきた時。
もう薬なんて飲みたくないし、もう必要無い、と思って、自己判断でやめる。
自分の人生をどうしたらいいのか、
どう生きたらいいのか分からない
誕生日おめでとう
2月3日も、1月3日も
『一般的』な社会にあまり関心も接点も無く
そこから外れたまま暮らしていくのも
それはそれで、もう、いいかな、と思ったりした
今もまだそういう気持ちは少し残ってる
でも昔みたいな気楽さはほとんど無いの
歳のせいかしらね
ほろ酔いで好きな音楽を聴くのってしあわせ
対象を好きな自分、のことを私は好き
対象を憎んでいる自分、のことは自分でも憎い

対象に抱く感情と自分に抱く感情がリンクしていて切り離せない