秋篠走友会(掲示板)

過去ログ162 2017/6/18 20:48

▼高橋幹也
2016年11月13日 勝浦鳴海ロード 
 この大会は鳴海と書いて「なるか」と読
む。私にとっては1981年の高校2年の時から
毎年出ている大会だ。16歳から51歳までだか
ら連続35回という事だ。メインの部では過去
7回優勝しており、優勝してなくとも何度も
入賞を果たしている。こうなると主催者はも
とより先導の白バイやら沿道の人までが名指
しで応援してくれる。1981年当時は外房線も
大網までが複線だつた。その後一宮まで複線
が進み、今でき勝浦まで複線だ。所要時間も
1981年当初は千葉から2時間かけて行つた
が、今では1時間25分で来れるようになっ
た。1981年の当日は駅のキヨスクで毎日新聞
を買い、読みながら行ったのを覚えている。
なんか犬のメルヘンの小説も書かれていた記
憶がある。連続18回目の時に表彰されてカツ
オの煮たのを貰ったけど、その後は何もな
し。1981年当時は漁港にあった市民会館が会
場で、そこから城跡まで登り、御宿方面を
回って1周10キロを走った。あの時は高校男
子の部であった。初めて10キロで36分台が出
た大会でもある。その後1983年からはコース
が武大前折り返しになり、20キロの部は海中
公園前まで折り返しになった。更にその後市
役所が高台に移転してからは会場がこちらに
移り、大多喜街道折り返しになった。その後
武大が会場になったりしたが。今では市役所
が会場になり。松部漁港近くが第一折り返し
でその後は会場を素通りして城跡が第二折り
返しになり10マイルのコースになった。2015
年からだな。主催者に聞いたら警察からの許
可の問題でハーフのコースがとりづらくなっ
たとのこと。そもそも、この大会は昔から交
通規制されていない道路を走る、珍しい大会
だ。ランナーが走っているすぐ脇を普通に車
が走るんだよ。道路の横断もある。まあ、そ
れでも事故は起きていない。1993年前後の数
年間はは10月に開催されていたが後に11月に
戻っている。35年も毎年で続けていれば、こ
のレースの事だけでちょつとした論文が書け
るだろう。

続く・・・
2017/6/18 20:48

▼高橋幹也
2016年10月16日 市川リバーサイド
 この大会には何回出たのか・・・数えるの
が面倒だが2014年大会は雨でさぼった。2015
年大会はひどい大会だった。2015年はハーフ
の部があったんだな。会場は2015年から国道
14号線近くの公園に変わった。この2015年の
大会は1周3キロのコースを7周走るんだが、
とにかくコースが狭い。車が1台やっと走れ
るような道の先が折り返しで、すれ違うのが
やっとだ、この区間は実質追い越し禁止区間
だ。おまけに未舗装区間が7割、砂利道まで
ある最悪の大会だった。あとで知ったのだ
か、今まで使っていた行徳橋付近が工事のた
めに使えなくなっていたそうだ。で今年は工
事も終わりハーフは無くなり10キロの部は折
り返しが行徳橋になった。ハーフは無くなっ
た。この大会は家から近いというのも利点
だ。ただ会場は、もし雨が降ったら居場所が
ないという所だ。ただ今年の天気は快晴。走
りやすい気候だ。アップも済ませ、いざス
タートに。スタートラインの10m手前に並
んだが、誰も前に出ないので私が久しぶりに
最前列に並んだ、そして他の人たちも促し前
が埋まった。スタートして最初は北上した。
500bほど走り折り返しがあり、以後は南下
する。スタートが最前列だが、若い人たちに
はかなわない、それでも10位前後をキープし
て折り返しへ。すれ違うランナーの中には見
知った顔もある。一通りすれ違うと会場の前
を通過、竹内さんという富士登山で知り合っ
た女性も役員をしながら応援してくれる。会
場を過ぎると江戸川の堤防を調子良く走る。
第二折り返しで順位を確認。総合で10位、年
代別でも50代なら入賞確実の位置だな、北越
製紙の工場が見えると、ほどなくゴール。記
録は37分56秒。総合10位。50代では優勝出来
た。この大会では焼き鳥屋がなぜか来ている
のだが、なんかあまり言いたくないが、私で
も買いたくなくなるような煤だらけの店だ。
親子でやってるが1本130円、まあ少し買っ
てみた。この大会は表彰式も早い。ほどなく
表彰式で賞品をもらい会場を後にする。昨年
は弘法寺や手児奈堂を見たが、今年は、川べ
りで1時間ほど本を読んだ後、国府台駅から
帰る。この駅から乗るのは高校3年以来だ
な。そんな事を思いながら帰宅した。
2017/6/14 23:28

▼高橋幹也
ロードレース千倉 その4
 鴨川もすっかり寂れてしまった。イオンの
ある辺りは良いのだが、あとはシャツター通
りだ。現在の鴨川は亀田病院とシーワールド
で持つているようなものだ。鴨川から横浜ま
で直通バスが開通して日東交通が大黒字に転
換したのが唯一の救いかな。観光客は増えた
のだろう。日東鴨川バスの本社は、壊れか
かった民家だ。この会社は磁気カードは使え
ず、いまだ現金だ。ここで駅前の書店で時間
つぶした後は880円支払って長狭街道を金谷
までバスで行く。この街道は鎌倉時代は松原
大路と呼ばれていた。昨年も通って、なかな
かよかつた。途中、小中一貫の学校脇を通る
が、ようは小学校が廃校になり中学に合併さ
れたというもの。この鴨平野はかつては東条
御厨と呼ばれる荘園だった所だ、私も定年後
は大学院に進学の予定だが、この地の事で修
士論文を書く予定だ。すでに構想は値つてあ
る。平野は次第に狭くなり、山道に入る。し
ばらくして峠だ。ここを一気に下ると内房
だ。保田の駅前を通過すると鋸山野分を通
る。あわと上総の国境田。浜金谷の駅は素通
りして港に着く。東京湾フェリーの乗り場
だ、ここが終点。ここから駅までは500bく
らい歩く。駅からは内房線の電車。ほどなく
電車が来て千葉駅に着く。かつては房総での
マラソンの後は千葉の万葉軒で駅そば必ず食
べたが、万葉軒も撤退してしまった、残念。
帰宅は6時。家の玄関を開けると、今日の
ロードレース千倉は終わった。。
2017/6/11 12:40

▼高橋幹也
ロードレース千倉 その3
 ゴールしても豪雨は変わらず。アクエリア
スを飲んで少ししていると10キロやハーフの
部の選手が続々とゴールしてくる。見知った
顔を見かけると挨拶をした。ゴール後1時間
もすると雨が止んだ。表彰式を済ませると漁
港に畑中正明氏がいた、旧知のランナーだ、
畑中氏は60代だか、かつては千葉の有名なラ
ンナーでに優勝常連だつた方だ。長椅子に元
警官の友人と腰掛け、ビールを飲んでいた。
すでに仕事はリタイアし、イトを少ししてい
るだけという。二人して、大会に出たり、家
でゆっくりしているそうだ。ここ最近は腰痛
に泣いたが今は完治したとのこと。私も52歳
だが、私も定年後は畑中氏のように記録にも
あまりこだわらず、知人たちと大会でゆっく
り話し、各地を旅行し、気負いのない生活
を゜送りたいとつくづく思った。会場から千
倉駅までは歩いて帰ることにした。しかし、
意外にも途中で道わ間違えた。今まで大会
コースだつた、県道を行くつもりが、そのま
ま横断してしまったのだ。それだけ県道が閑
散としているという事だ。駅に着くと内房線
の千倉鴨川間が不通となり代行バスとのこ
と。予定では九重駅から館山日東バスで鴨川
まで行き、そこから浜金谷まで路線バスで旅
する予定だつた。しかし代行バスなど、そう
乗れるものでもないので、今日は鴨川まで代
行バスで行くことにした。バスの車内は20名
程度か。あまり乗っていなかつた。路線バス
とは少し違う道を鴨川までいつた。

つづく・・・
2017/6/8 18:44

▼高橋幹也
ロードレース千倉 その2
 そもそも、この大会は「南房総市ロード
レース千倉」というのが正式名称だ。もとも
とは「ロードレース千倉」だったんだけど
2006年3月20日に近隣と合併し「南房総市」
になったため、2006年から名称が変わったん
だ。この時に旧白浜町も走れるようになって
コース変更があつたんだ。会場では京成の後
藤基良君や多くのランナーとあったんだが、
そもそも皆が狭い軒下に集まるので、いやが
上でも会うということだ。スタート時刻は
ハーフが10時00分、10キロが10時45分だ。今
回の目標は総合20位以内、年代別6位以内、
記録は37分台とした。そもそもこの大会は以
前はハーフが10時00分だつたときは参加者が
集まらず、11次に変更になったという経緯が
ある。始発に乗っても来れないんだな。でも
館山道が開通してから変わり、また、昨今の
ブームの関係でスタート10時00分に戻ったと
いう経緯がある。そして雨の中、傘さして
アップして10時45分10キロの部がスタートし
た。今回から県道が使えず、海岸通りを往復
するというコースになった。スタート時から
激しい雨だったが、千倉大橋を過ぎて5キロ
を過ぎたあたりから激しさを増し、5キロ過
ぎの折り返しを過ぎて、橋を渡り、ハーフの
選手と合流する頃には防災無線で大雨洪水警
報が流されてきた。道路は冠水し、私の前を
走っていたランナーは歩道を走り始めた。私
も彼に続くつと、後続も少しでも水たまりを
避けるために歩道の上走り始めたよ。まあ、
寒くはないが、もう走っていていやになって
きた。そしてゴール。37分10秒、40歳から54
歳までの部で6位入賞。総合でも11位゛だっ
た。まあ、ゴールしてほっとした。
2017/6/6 21:04

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