過去ログ1198 2011/2/27 7:56


そういうことを覚える前のことだけど、お母さんがやさしい時もあった
叩かれたあとに私がうずくまって泣いていると
いったんその場を離れたお母さんが私のもとへ戻ってきて抱っこをしてくれることがあった
お母さんは向かい合うかたちで私を膝の上に乗せてくれた
そして「しーちゃん、叩いてごめんね、どこが痛かった?」とやさしく訊いてくれた
ここ、と私が自分の体を触って伝えると
お母さんは「よしよし、痛かったね、ごめんね」と、そこをやさしく撫でてくれた
一カ所目を撫でられる時は、私は毎回、一瞬びくりとした
そしてお母さんが撫でてくれるうちに一気に安堵感が込み上げてきて、大泣きした

「しーちゃんのことが可愛いから、大事だから、お母さんは叩くんだよ
おりこうになって欲しいからだよ
しーちゃんを叩く時はお母さんの手も痛いんだよ
しーちゃんも痛いけど、しーちゃんを叩くお母さんの手はもっと痛いんだよ
しーちゃんのことがどうでもよくて大事じゃなかったら、わざわざ叩かないでしょう?」
お母さんは私を撫でる時、毎回こう言った
私は「うん、うん」と泣きじゃくりながら言った
そうやって私を撫でてくれる時のお母さんのことが私は大好きだった
2011/2/27 7:56


でもお母さんが叩き終わったあとに
私が何でもなかったようにけろりとしていると
お母さんの気が済まないようだった
それでまた叩かれたこともあった
私はある程度泣いたり悲しんだり弱ったりしないといけないのだということも覚えていった
2011/2/27 7:38


泣き止まないとお母さんがまた怒るということも覚えた
それからはあまり泣かなくなった
叩かれることにもだんだんと慣れていった
叩かれている最中に、状況とはまったく関係のないことを考えることも出来た
本当に普通に適当なことを考えたり
あたまの中で歌を口ずさんだりもした
痛みもあまり感じなくなった
叩かれながら、いつ終わるのかなあ、まだ終わらないのかなあ、と思うこともあった
2011/2/27 7:33


泣き疲れて半ば放心状態のような感じで家族を見つめたことが何度もあった
その時はなんだかあまり現実感のない、不思議な感覚に包まれた
何かがすごく遠くて『別々』だと感じた
2011/2/27 7:28


いちばん虚しかったのは
私が泣いていた時に、私以外の家族が3人で過ごしていたこと

お母さんは私を叩いたあと、お父さんと妹と一緒に夕飯を食べはじめた
みんな普通にしていた
普通に話しながら、少し笑ったりもしながらごはんを食べていた
私は涙が止まらなくてその時もめそめそと泣いていた
「いつまで泣いてんのよ」とお母さんがつめたく言った
私はそれにまたびくりとして泣き止むことが出来なかった
そしたらお母さんはとても面倒そうに、はやくこっちへ来て食べなさいと言った
お母さんが苛立っているのが解って、私はまた叩かれるのではないかと思った
お父さんは、やれやれとでもいうような呆れたような態度だった
家族から疎ましく思われている気がした
私だけ家族じゃないみたいな感覚になった
2011/2/27 7:22


叩かれたあとにめそめそと泣いていたら
お父さんはよく、私に向かって「自分が悪いんでしょ」と言った
私が悪かったことも確かにあっただろうと思う
でもそれは些細な出来事だったと思う
あんなに叩かれる程のことをしてはいなかったと思う
それに、私が悪くない時もあった
叩かれながら、どうして今自分が叩かれているのか必死に考えてみても
その理由が解らないということが多々あった

私が悪いのだとお父さんから言われると、どうしようもない気持ちになった
なんだかよく解らないけれど私が悪いということになってしまって、
そういう時の私は、結局お父さんに何も言えなかった
どうしてか解らないけれどとりあえず私が悪いのだとよく思っていた
2011/2/27 7:10


私を叩いたり、暴言を吐き捨てたり、切り捨てるような態度を取ったあとに
当てつけのように妹や誰かを可愛がっていたお母さんのことを
私はとても嫌いだった
2011/2/27 6:58


私は、本当は、家族のことをとても憎んでいる
勿論それがすべてではないけれど
2011/2/27 6:54


人を信用することが出来る人は
当たり前に信用出来るのだろうと思う
信用出来ない人は
信用出来ないのが当たり前なんだ
『幸福』なのは前者なのかもと思う
そうなれたら『幸福』かなと思う
だけど私にはそれがどうしても出来ない
意識を変えようとする努力は出来ても
それだけではどうにもならない
2011/2/27 2:10


多くの人が持っている感覚や考え方を
私が本当の意味では理解出来ていないように
誰かが私の感覚や考え方を本当に理解するのは無理だと思う
いくら言葉で説明してもきっと解らない

どうして解ってくれないの
どうして解らないの、と言われたり
そういうことを態度で示されたりすると、やりきれなくなる
そうやって私には押し付けようとするけれど
これが普通、当たり前だから、って理解させようとするけれど
解らないのだから仕方ないじゃないか
私の感覚や考え方だって理解してくれないじゃないか、と思う

知識として何かを得ることは出来ても
感覚で理解するのってそんなに簡単なことじゃない
私にとっては私の生活が『当たり前』だったんだ
誰かの当たり前を押し付けられたからといって
それを私が『当たり前』と認識して実感出来るわけないじゃないか
2011/2/27 2:06