らんの天気部屋@仮

過去ログ103 2017/2/28 17:22

▼どんだけ遠い?
奈良から隋の都、長安までどれくらいなのだろうか?
直線距離だと、鹿児島から札幌くらいだ
あれ?近くない?と思った方、旅慣れている

陸路だと、入場税出場税、その他色々あって、経費が掛かる
海路だと半分の行程で、しかも経費も安い

そりゃ陸路を荷物運ぶよりは海の上に浮かんだ船で行ったほうが早いし負担も低い

瀬戸内を抜け博多から対馬に行き、半島に上陸せずに、海沿いを北上して天津手前から陸に出る、そこから陸路を早くて10日、ゆっくり行けば20日もかからない
だいたい1月もいらない行程

往復2月もかからない、
2/28 17:22

▼遣隋使とアジア
では遣隋使以外の交易はあったのか

この時代奈良周辺の豪族が海を通り交易をしていただけではないか

その正統性を作る為古事記日本書紀以外を燃やしてしまう

これが身分証に繋がる
どこの誰で、何の用事なのか
それなのに江戸時代迄 さほど重要視されずに保管
後漢書や中華の歴史は何度も書き直しされている
その為初版は存在しない

いわゆる戸籍が国の歴史にあたる

東南アジアは文献が残り1〜6世紀の交易戦争記録が多い
この中で外部の人間を非人と表す事もある
文献が乏しいのはシベリアも同じで
無人の荒野ではない
ただ文献が見付かりにくいだけだ
2/27 17:03

▼遣隋使と交易
支配者が代わり、交易相手(商人)と交渉する仕組みも代わる

外国へ行く船は持参する風潮が学者にはあるのだろうか?
そもそも交易相手は何で日本に来たのだろうか?
空を飛ばない限り、船で来た

中華へ行くのに中華の外洋船を使って悪い事でもあるのかな?

そう考えたら、交易相手と共に行動すれば、隋の首都に行けるかもしれない

ただし交易相手の地位を越える交渉は出来ないし、移動範囲や権利も、自己主張せねば切り開かれない
遣隋使第一回は行ったという日本側の記録しかなく、実質第二回から双方の記録が始まる
遣隋使以外にも古くから交易していたのだが、詳細な記録が見付かりにくく
その方面の学問は面白いかもしれない
2/27 13:26

▼遣隋使とか
相手側の文献に遣隋使の記述があり日本の古事記等にも記録されている

だけを見ると全体が見えなくなる

首都に行く過程を想定

まず 日本の代表に選ばれる
これには中華の試験にもにた、読み書きや口頭試験 力業や家柄を揃えて受かる

次に土産品や身分証
船の手配、欲しい物の聞き取り
神社へ祈祷等
戦闘集団に食糧確保
出発までに、やる事は多い

一番重要なのが身分証である

何せ相手側の顔も最新の情報もないのだから
2/27 12:43

▼1〜6世紀
記録文献に乏しい時代考証
この時代の日本は人が住んでいた
そして交易は古くから盛んに行われ、日本産出の品物が各地で発見されている

また文字や印鑑等も広く流通していた

考えればわかるのだが、剣に文字や鏡に字が刻まれ、中東では貨幣経済が存在する時代に何も持たずに交易出来るのなら、証明してほしい
古墳時代弥生時代の復元図は、とにかく貧しい物しか表示しない学者は何を考えているのやら

その辺は置いといて
石や重量物は船で運んでいた
たまに見かける穴の空いた巨石は、そこに丸太を通し、筏を組み合わせ水に浮かべるのである

また石そのものに木材を張り合わせ丸石モドキにして転がす等の方法
砂を固めて壁を作る等の技法は数千年前から存在する

鉄を鍛えるのも、土器を焼くのも、豊富な水があって出来るので、都市や国家は水辺に生まれる

日本とは、訪れた異国人からみると、宝の山で天国といえる

我々は資源がない国と言われて育てられたが、実際には水の豊富な世界でも珍しい国なのだ
2/27 12:32

▼6世紀
280年 三国志が編纂される
376年 後漢紀が発行三国志時代以前の歴史
432年 後漢書が発行三国志時代以前の歴史
なぜ数百年も後に書かれなければいけないのかは、違う回で解説する

712年頃 古事記が献上される
720年 日本書紀が献上される


西暦 
512年5月21日 中国山西、代県地震 - M 7.4
518年 旧ユーゴスラビア南部スコピエで地震、壊滅的被害。
526年5月29日 トルコのアンタキヤ(アンティオケイア)で地震 - M 7.7
533年11月30日 シリアのアレッポで地震 - 死者13万人(レバノンのバールベックの神殿建築群とベイルートが崩壊)

535年
インドネシアのクラカタウ火山の爆発による地球規模の大異変が起きる
火山灰による地球の気温が下がる、飢饉が発生し、国家存亡を引き起こす、人の移動が発生し、技術が流出する。これにより様々な国家で兵器開発が進化する

551年7月8日 ギリシャで地震 - M 7.1、死者4,000人。
566年 トルコのアンタキヤ(アンティオケイア)で地震 - M 6.8

記録に残るものを並べてみるが、都市や国が機能しているので、被害なども文献に残る

西ローマの後に東ゴート国が地中海イタリアを支配する

斉から梁に時代が変わる

仏教が勢力を拡大し、西の建築技術を用いて巨大仏像を作る

古墳時代後期になる

サーサーン朝ペルシアの時代光の神ゾロアスター教が最高潮になる

574年 中華の北周で廃仏運動がおこる。これにより
581年 中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼして隋を建国。「開皇律令」が公布される
仏教を推進し一大仏教ブームになる

日本は外圧なのか、仏教を受け入れる事になる

英国でアーサー王伝説の時代が描かれる

メキシコ地方でピラミッド建設が流行する

ナスカの地上絵が描かれ始める
この時代の建築物は、現在にも残る石を加工した積み上げ式でどの大陸にも立派な遺跡が残る
2/27 1:36

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