過去ログ1188 2011/2/10 23:26


お母さんが嫌悪する私をどこかへやって
お母さんが愛でてくれる私を残していれば
そこにはお母さんの好きな、
お母さんの必要とする私、が存在することになる

そうなれば当然お母さんは私を可愛がってくれる
お母さんから可愛がられれば私も嬉しい
互いに良い気持ちでいられるから
ある程度安定した関係を維持することが出来る

こんな話は馬鹿げていると他人は思うかもしれないけれど
私は必死だった
何をするにもお母さんのことがあたまを過ぎった
自分の言動のすべてをお母さんのものさしではかり
受け入れてもらえるかそうでないかをいつも気にしていた
2011/2/10 23:26


私はお母さんから可愛がられたかったし
お母さんにとって『良い』存在で在りたかった

どういう私が愛でられて
どういう私が嫌悪されるのかについては
私に対するお母さんの態度ですぐに理解出来た
それは必要とされる私と
必要とされない私がいるということでもあった

お母さんが必要としない私は
私にとっても必要なかったのかもと思う
お母さんが気に入らない私、のことを
私は簡単にどこかへやっていた気がする
昔はそれを悲しいと思ったことも無かった
当たり前のようにそうしていたから
『考える』に至らなかったのだと思う
2011/2/10 23:14


お母さんとの関係において
寂しいとか悲しいと感じているということを
伝えることはなかった

お母さんが私を否定すると
私は本当に悲しくてどうしようもない気持ちになった
お母さんからつめたくされると
とても寂しくなった
お母さんが激怒すると
とても嫌な気持ちになって不安感に襲われた
それらは全部仕方のないことだった
お母さんは悪くなかったから

その時に私がどんなことを思っているかなど
伝える必要がなかった
必要性がなかったし、伝えるべきではないとも思っていた
2011/2/10 23:08


絶対に失いたくない大事な人、は
この世でお母さんだけだった

私が感情的になってお母さんに何かを強く発したのは
10歳頃と16歳頃
それと20歳頃の3回だったと思う

その時はお母さんを『失くしてもいい』と覚悟していたわけではなかった
ただ、もうどうしても抑え切れずに言ってしまったという感じだった

それ以外には無いと思う
本当に些細なやりとりならあったかもしれないけれど
2011/2/10 22:58


私が自分の考えや気持ちを強く訴えたり出来るのは
その相手が『絶対に失いたくない人』ではないからだ

大事な人、ではあっても
絶対に失いたくない大事な人、ではないから
だから言えるんだ

相手の意見を否定出来るのも
相手の要求を否定出来るのも
同じ理由から
2011/2/10 22:49


本当に大事な人、
絶対に失いたくない(失えない)人に対しては、
私はある意味、絶対服従に近いかたちになると思う
そうなってしまうと思う
2011/2/10 22:46


私が負の感情や感覚を剥き出しにしたり
そういうものを相手にぶつける時というのは
私の中で『その関係』に終止符を打つ覚悟のようなものがある時だ

もう失くしてもいい、と思えるからこそ
そう覚悟したからこそ言える(出せる)ものであって
その時には、これまで抱えていた様々なものが一気に噴出したりする

私が、あるひとつの関係を維持し続けるのが苦手なのは
我慢を続けるからなのだと思う
2011/2/10 22:42


今の私にとっては、というか
今までだってそうしてきたんだ

攻撃性をあらわにしたこともあったけれど
それは一部の人に対してだけ
その一部の人というのは
私の中でもう必要性の無い(薄い)人だった

そうでない大事な人には
負の感情をさらけ出すなんてことは滅多にしなかった
2011/2/10 22:33


何にしてもそうなのだけど
とにかく、とりあえず、我慢すればいいのかもと思う
自分でも扱いに困ってしまう程の感情や感覚を
上手に処理して消化するのはとても難しい
つよいものが発生した時は
それらをとりあえず隔離したり
押し込めたりして我慢すれば
表面上の嵐は過ぎるわけだし

多分、それが、今の私にとっては
最良の選択かなと思う
2011/2/10 22:28


これまでのようなこと、を
先日やってしまうところだった
同じようなことを繰り返してしまいそうだったけれど
なんとか通り過ぎることが出来た
本当に、ぎりぎり、のところで
2011/2/10 22:22