過去ログ1189 2011/2/11 4:14


ここ数ヶ月、友人といろいろな話をしてきた
その中で、私の思う『愛情』や『信頼』が間違っているということを知った

私はずっと自己分析のようなものをしている
自分の思う愛情や信頼、は
何か少し違うかもしれない、
ということには、なんとなく気付いていたような気もする
2011/2/11 4:14


ただ他人を責めているわけじゃない
私だって他人の信用を損なうようなことをしていると思う

それでも私を信用していると言う人がいる
それは何故なのだろう
どうして出来るのだろう
2011/2/11 4:10


私は基本的に人を信用出来ない
でも信用したくて、そう努めてみたりする
だけどその私の意志を挫く事態は必ず起きてしまう
その度に私は寂しさや虚しさを感じて諦めていく

この同じようなパターンを
ずっとずっと繰り返していると思う
2011/2/11 4:07


もうこんな時間
電車で寝る、か
2011/2/11 3:43


私ってなんなのかなあ
最低だないろいろと
どうしようもない
2011/2/11 0:08


ある意味で(言葉が不適切だけど)、
恋人はお母さんの代用品だったのかもしれない

代用品は本物ではないから、それほど大事にしなかった
酷い言動で傷付けたこともあった
いつ失っても、それはそれでもういいと思えた
私の望むものを、私の望む時に与えてくれればそれで良かった
私の必要としていないもの、
私の嫌なものを出して来られると、物凄く嫌悪感が募った
私を不快にさせた時点でその人との関係を終わらせたりもした
私を不快にさせる人とわざわざ一緒にいる必要性など無かったから
2011/2/11 0:04


お母さんとの関係が常に満たされているものであれば
もしかしたら私は男性と付き合うことは無かったかもしれないと思う

ひとりの男性として、人として、
好意を抱いて、大事に思っていたことは確かだけど
でも、それ以外の部分での必要性が大きかったと思う

私はお母さんから貰えないものを恋人に求めていたと思う
お母さんにさらけ出せないものを恋人にぶつけたりもした
お母さんで埋めることが出来ない部分を、
その隙間を、私は恋人で埋めようとしていた
お母さんとの関係が良好で満たされている時には
恋人の必要性をほとんど感じなかった
2011/2/10 23:53


お母さんが私を愛でてくれて
やさしく笑っていてくれたら、
そしてお母さん自身が、
そういう自分のことをしあわせに感じていてくれたら
それが私にとってのいちばんのしあわせだと思う
2011/2/10 23:44


私の根本にある目標は
どういう仕事に就きたいとか
どういう場所で暮らしたいというものではなかった
お母さんに気に入られたい、というものだった

私がなりたかったのは
お母さんから一生愛でてもらえる私だ
お母さんにとって唯一のかけがえのない存在、が私で
私にとってのそれがお母さん、というのを
ずっと、一生、実感していられたら
もうそれ以上の幸福はないと思っていた
2011/2/10 23:40


もし仮にお母さんから完全に嫌われて
まったく必要とされなくなったとしても
それで私が終わってしまうわけではない
だけどお母さんから嫌われてしまうということは
私にとって死活問題だったと思う
これは、それだけ依存していたということなのかなあ
2011/2/10 23:32